柊りょうのブログ -2ページ目

柊りょうのブログ

ブログの説明を入力します。

「手に入らないから、ほしいの?」
「手に入らないものが、ほしいの?」
と、聞いてみた。

我ながら笑える。
自分で布石を打ったわけだ。
将来のために何かを用意するためのものではなく
ただただ、自分の中で決着をつけるためだけに。


何を望んでいたのだろう。
いや、何も望んでいなかったのに
なにか変な希望みたいなものを見つけたのかもしれない。
ひとときの気の迷いで。
笑えて来る。
たとえなにかが起こったところで
それに対応するほどの力もなければ
それほどのゆとりが生活の中にあるわけでもない
自分を見失っている
今始まったことではないけれども


ただ、昨日しっかりと自分の中でいろいろなものに
決着をつけれた気がしたよ。

私の望むことなんて決して叶わない
叶えようとしていたことすら
むなしく思えてくる


だって、そんなことありえるわけないじゃないか。
人はきっと孤独の中に生きて
孤独の中に死んでいく
その「孤独」に耐えられないから人間で
他人にその孤独とやらを埋めてもらうために
なにか自分のもつ、目にも見えないような何かを犠牲にして

時間や
お金
自分自身の感情や
本当の気持ち
何かに取りつかれたように
言葉を探し
傷つけないように
傷つかないように
好かれるように
嫌われないように
そうやって良くも悪くも生きている

本当に、そんなことを望んでいるのか?

孤独を埋めるために自己を投じるのをやめにしないか?

もう、何も思い残すことはないし
とくにこの後何かを望むようなこともない
さらに言えば、自分が存在する意味なども
見つけることはできないし
見つける気もさらさらない
だからといって、誰かにその存在を見つけてもらうことすら
自分自身に対して癪に障る
わがままなのかな?
そうそう、わがままかどうかは
自分自身が決めることではなく、そう思う人がいるかどうかで
決まるらしい。
それが真なのかどうかすらわからないのだけれども。
ただ、その言葉で納得したいという思いさえ当時は芽生えてしまった。
馬鹿みたい。
でも、きっとそれはそれで楽しかったのだと思う。
ただ、人の感情なんて一瞬で移り変わって。
昨日あんなにも、感じていた虚脱感は
今日はただの過去のものとなっているし
かつてあんなにも感じていた情熱のようなものも
今となってはそんなこともあった程度だ
人間は怖いよ。
感情なんてものは結局はその時々の思いでしかないし、
時間が恐ろしいほどにその感情とやらをむしばんでいく
思い出は変わらないけれど
その時の感情までを思い出としてとどめていることはできない
だから、思い出はいつかよくわからない奇跡のようなものとして
とどめられていく

そうこれこそ
「手に入らないけれど、ほしいもの」
だと、考えれば自分の歩いてきた道が間違いではない。
と感じることができるんじゃない?
中身がどんなものであれ
思い出=奇跡≒ほしいもの
なんてちょっと洒落てる(笑)












いろいろなことに対して
あくまでも自分の中だけれども
決着がついた。

そう、準備はすでに整ったわけだ。
最終的には自分の一番嫌いだった「時間」
とやらに身を任せて
どこか、知らない、誰もいない世界に
ひとときの奢侈感に浸りながら
「当然スキなもの」である、終わりの世界に足を踏み入れよう。