「オレは音楽が好きだし、みんなが好きだから楽しい!」


「私はこの料理が好きで、あれは嫌いなの」


「はい!地元が大好きなんで、将来は地域復興させるために勉強してます!!」


「さみしいから、連絡をしてほしい」

 



 

うらやましい?

妬ましい?

怒り?悲しみ?

この感情は何ていう感情だろうな。

分からない。




 

なんで、周りに生きている人たちは自分の感情が分かるのだろうか。


それはきっと「自分の感情を大切にしていいよ。」っていう環境


人生で一度でも触れたことがあって、それを体感したからかな。

 

 

 

 

「自分の感情」

を大切に生きてきたらきっと「人間」になれる。

 

 

  


ボクはそれを長年、環境のせいとはいえ

ある意味で生き残るための自分の選択とはいえ、感じないようにしてきた。

 


 


それに加え、「自分の意志」を表明すれば

それを言葉の武力によって、制圧されていた。





そんな環境でどうやったら「自分の意志」が育つのか?

 

  





だから、抑えてきた「自分の感情」を認識する能力は衰え、「意志の刃」はさび付いて、スパッと決断できない。





刃を抜く気力すらなくなっている。

 

 




人は感情を尊重され

それを自らがしっかりと感じて

さらに周り(家族とか)に受け止めてもらって浄化したときに成長できる。

 

 





失敗して、泣いたときに

「大丈夫だよ」って受け止めてもらってこそ。


その状態になった他人を心から慰めることが出来る。


それは傷を癒してもらった経験があるから。

 





 

その一方で

誰にも相手にされず(周りは相手にする余裕がなかった)自分だけで治したとする。(あるいはまだ傷はふさがってないかもしれない。)



そうすると、同じ状態になった相手がいたとしても、「自分で対処しろよ」って心の中で思う。



でも、嫌われたくないから「大丈夫?」って上辺の対応をする。

 

 

 



前者と後者は同じ行為でも

ぬくもりが違うんだ。

人間高性能ロボットってところ。

 

 




だから「自分の感情」を抑え、「自分の意志」を使ってこなかった。

そんなボクは空っぽなんだ。

 

 

 

空っぽ。

というよりは、本来なら

心を埋めているのは「自分の感情を使った思い出」だろう。






だけど、そんなボクを埋めているのは

「他人、本、世間一般の価値観とルールと外部からの承認」

 

 




空っぽならまだいいけど、いっぱい要らないものが詰まってるから。




それを取り除きながら、自分をの心を満たしていく作業が必要。

 

 



こんなブログ1つ書くにも

普段通りに書くと


「これを書いた方がいい」


「あの人が言ったことをここに入れよう」


「本ではああ書いてあった」


「こっちの方がよりウケる言い方」


そんなことを無意識に考えながら書いてしまうから。


自分の言葉とかけ離れて、自分が別人になる。


無意識に別人をトレースする。

 


だから、今は





少し書いて、これはホントに自分が言いたいことなのか。


って考えて書いてるから、結構時間がかかる。

 

 



その代わり、自分と対話出来てる。

これがACを抜け出す一つの方法であるのは間違いない。

 

 



 

ただ1つ、今の心の状態にメリットがあるとするなら、心の中を「自分以外の価値観」で満たしてるがゆえに。





人の行動や癖をコピーするの能力が異様に高くて、7割ぐらいまでならすぐにコピーできること。

 

 

 

仕事の手法も見ていれば、すぐにある程度までは仕事は出来るし。





ドラマを見れば、1週間ぐらいは一番影響を受けた人に言動が似るし。



他の人になりきれって言われたら、環境が許すのであればマネできる。

 

 

 

けっこう良い能力やとは思ってるけど

やっぱりオレは、それをなくしてもいいから「心を自分で満たしたい」。





空っぽなロボットの自分を





人間臭いただのボクにしたい。






「分からない感情」



「かすかに動く心」



分かるまでオレは待つ。



分かるまで感じようとしよう。



それがボクとの約束。