「いい人だね」
「すごい人だね」
「やさしい人だね」
「かっこいいね」
って言われたくてさ。
ずーーーっと無理してきたよ。
無理してきたことが分からなくなるくらい。
自分より相手を優先して。
いや、「相手に好かれること」や「相手に褒められること」を優先して。
そんな風に生きてきた28年間。
その結果、すべての感情が鈍化して、何も感じなかった。
記憶は感情とともに脳に記録されることで思い出しやすくなるんやけど。
オレは感情が伴ってなかったから、記憶の蓋が開けられない。
つまり、あんまり過去のことを覚えてない。
でも、自分の感情に向き合って
数日に1回は号泣してたこの3か月間。
認めたくないけど、今までの28年間って薄っぺらくてさ。
相手に好かれようと、自分を抑えて、相手に合わせてた。
だから、浅く広い関係が出来た。
友達がいなかったボクは
それが嬉しくて「ボクは友達が多いんだぞ~!!」って
心の中でよくマウントを取ってた。
でも、その実、なんでも話せる友達なんかいなくて
心と心が触れ合った人は、ほぼ皆無。
だから、今は友達はあんまりいない。
というか、心と心が触れ合うって意味。
相手を信頼するって意味。
それがようやくここ数か月で分かってきた。
あ~あ、もっと早く気づきたかった。
心と心が触れ合うってのは
自分の弱いところ、強いところ
ダメなところ、素敵なところ
悪いところ、良いところ
それらを全て
「これが自分なんだぁぁ!!どうだぁぁ!!」
「嫌うならきらえぇぇ!!好きになるなら好きになれぇぇ!!」ってさらけ出したときに
「あ、オレ、そんなあなたが好きなんですわ。嫌いなとこもあるけどww」
って言う人が出てきて
自分も
「俺もお前が好きだぁぁ!!でも、こういうところは嫌いじゃボケぇぇ!!」
って言えるぐらいお互いをありのままに認める事が出来たときに生まれるもんやと思う。
そう考えると俺が目指していた
「良い人」
「すごい人」
「やさしい人」
「カッコいい人」
って、なんていうか違うんよな。
仮に俺がそういう人になれたとしたら多分こういわれる。
「ゆうさんってめっちゃいいひとですよね!!」
「ゆうは同期の中でめっちゃすごいよな!!」
「ゆう君は他人思いでやさしい人やなぁ~」
「ゆうさんってカッコいいよね!!」
正直めっちゃ嬉しい!!
周りの人みんなに言われたらめっちゃ嬉しい!!
でも、何かこうも思う。
「で?なんなん?」って。
無理して作った自分で得られた賞賛。
相手がほめてくれるであろうことを見越して行った行動や格好。
自分が嫌な人になりたくないから与えた優しさ。
あれ?
これ全部、自分じゃなくね?
全部つくりものじゃね?
まだ、完全に腑には落ちてないけど。
すごく納得してる。
とりあえずしばらくは、それを腑に落とす作業かな。