国立西洋美術館の礎となった絵画を収集した、実業家の松方幸次郎(まつかたこうじろう)。

モネ、ルノワール、マネなど、わずか10年間で集めた絵画は3000点にも上りました。

 

https://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2019-07-14/31/11894/1902808/

 

生前、「絵はわからない」と言っていた松方。収集された美術品も多岐にわたっていたため、金にモノを言わせた一貫性のない収集かと思われていましたが、近年そうではないことが分かってきました。「ミスター・ベネディット」から始まる、当時のロダン美術館の館長レオンス・ベネディットに宛てた手紙には、具体的な作家の名を挙げながら最新の情報に基づいて絵画を購入している松方が読みとれます。
 

日本に美術館を作ろうとしていた松方は、美術収集のアドバイザーだった画家のフランク・ブラングウィンに「共楽(きょうらく)美術館」の設計をお願し、土地も東京の麻布に用意していましたが、この計画はたち消えてしまいます。

モネの絵画を購入した2年後に関東大震災が起こり、その復興予算に充てるため、贅沢品である海外絵画の輸入に100%の関税が設けられました。そのため、美術館に飾る絵画を日本にもってくることができず、ロンドンに900点、フランスに400点の絵画が足止めされ、保管されることになります。

一方、世界恐慌により、松方の造船会社が破産。資産整理のために日本で所有していた絵画がオークションに出されます。コレクションがバラバラにならないよう、一括買い上げができるような相手が望ましかったのですが難しく、結局国内外の様々な人が絵画を買い取っていきました。また、ロンドンでの保管分が倉庫火災により焼失。フランスでの保管分にもナチスドイツの手が差し迫っていたことから、松方は作品の疎開を決め、部下に「もしもの時は絵を売っていいから」と言い、疎開を託します。部下は戦時下で苦しい疎開生活の中、たった2枚を手放すのみで作品を守り抜きました。
 

第二次世界大戦後にフランスから美術館の建設を指示され、日本には国立西洋美術館ができました。部下が守り抜いたフランスの保管分の作品のうち、フランスにとって重要な作品はフランスに留め置くという条件により全部が戻ってくるわけではありませんでしたが、「日本人が西洋人の心を理解する手助けをしたい。そうすれば、西洋の知識や技術、生活様式を取り入れやすいだろう。」と随分前から西洋美術館を構想していた松方の願いはようやく叶うことになりました。しかし、松方はこの完成を見ることなく、1950年にはこの世を去るのです。


ゲストの漫画家であるやくみつるさんは「コレクション作品の一つ一つが素晴らしいのはもちろんだが、それらが同じところに集まっているということに価値があり、絵の中の細かい描写に現れる当時の雰囲気や人の息遣いなども収集しているところがある。」と話していましたが、それだけでなく、集めている人の趣向や思想、生き様、願いなどの内面もコレクションには強く現れていると思います。

人は誰でも、集めているモノが大なり小なりあります。モノ自体を作り出すことはできなくても、好きだと思ったモノを集めることで自分の内面を表現することはできるし、逆に、そのコレクションを見て相手は何かを感じ取り、自分を評価してくることもあるでしょう。いい加減なモノは集められないな、と感じた放送内容でした。



【ここからはファッションの話】

司会の小野正嗣さん、今日の放送ではベージュを着ていましたが、ベージュ似合いますね。
背景には薄紫をメインとした淡い色の花が飾ってありましたが、同じベージュを来ていた回でも背景に朱赤の大きなダリアがメインで飾ってあった村山槐多の回のときには肌がほんのり紅潮して見えて、今回以上にすごく若々しく溌剌として見えていたのを思い出しました。


前から思っていましたが、小野さんは黒の衣装のときはまだらなグレーヘアも相まって、肌が老けて見えています。年齢に換算すると、その差は10歳ほどはあるでしょうか・・・・顔の周りにどんな色をもってくるかは見た目の印象に大きく影響するので、顔の周りだけでも似合う色を意識すると良いです。