岡本太郎や藤田嗣治が一目置いた画家で、画壇のアウトサイダーと呼ばれた北川民次(きたがわたみじ)。

 

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静岡の茶商家に生まれた北川氏は幼い頃から美術に興味がありましたが、親の強い反対に合います。しかし、美術を諦められない北川氏はお茶の貿易の関係で渡米していた兄を頼ってニューヨークへ。そこで美術学校に通いますが、当時のアメリカの清潔的な閉塞感に嫌気がさし、27歳のときにメキシコに移ります。

 

当時のメキシコは革命直後の混乱の時代で、芸術家も積極的に社会を変える活動をしていました。
壁画絵を用いて革命の意義を国民に啓蒙していく「壁画運動」が盛んに行われ、それは創造性がある自主的な人間を作る一翼を担います。
当時のメキシコ国民は字が読めない人が多かったため、絵からアイデンティティを得て確立させていく必要があったのです。
 

その運動に影響を受けた北川氏は、38歳のときにメキシコの子供達に絵を教えるために美術学校を開きます。
好きなものを自由に描かせるスタイルで、子供達は自分が「良い」「描きたい」と思ったものを紙に大きく描きました。

その「自分の心が動いた部分を目立つように大きく描く」という子供達の描き方に北川氏は感化されていき、作風もデフォルメしたものが多くなります。

 

その後、41歳で日本に帰国。昭和11年当時の日本は戦争の気運が高まっていた頃で、画家は戦争記録画を描くように強要されますが、そんな中でも北川氏は反戦の意思を忍ばせた絵を描くことで、戦争に対して静かな抵抗を続けます。
しかし、それにより戦争に反対する者として目をつけられたので、愛知に移住します。絵の具も配給制だった当時、満足する画材も集まらない中でも反戦絵画を描き続けました。

 

戦後になると、北川氏は堰を切ったように自由な制作を再開します。

中部日本放送本社のCBC会館にあるモザイク壁画『芸術と平和』は楽器やペンをもたせた人々を活き々と描いたもので、まさにメキシコでの壁画運動と同じことを日本で行っていたと言えるでしょう。

名古屋では他にも野外美術学校を開いています。当時そこに通った人は「先生は軍鶏を2匹放ち、戦わせた後、それをしまってから『今、一番印象に残ったものを書きなさい』と仰った。子供達が描くものは一人一人違い、その違いが個性であり、その個性を子供達はこれから一生かけて磨いていかなければならないのだと考えていたようだ」と番組で話していました。
 

晩年は油絵を辞めて、量産できる版画に転向します。メキシコで生命力の象徴とされているバッタをモチーフにした絵をたくさん残していますが、目立たずに地を這ってたくましく生きるバッタを自分と重ねていたようです。
そんな北川氏が生涯手元に置いていた絵があります。それは1人の少女が静かに祈りを捧げている様子を描いたもので、親族が誰の絵か聞いても教えてもらえなかったそうですが、北川氏の死後、絵の裏に同氏の書き込みがあることがわかりました。

そこには、「メキシコの美術学校の生徒だったフェルナンド・レエスという18歳の少年が書いたこの絵を生涯自分の絵の手本にする」と1927年の日付とともに記されていました。

 

北川氏は30代の時に絵の核の部分をすでに確立させており、生涯をかけてそれに忠実に絵を描き続けていたのです。

人間が本来もつ「自由への闘争心」に働きかけ、抑圧への抵抗の気を支えるためにも、画家は常に虐げられた民衆側にいるべきだとした北川氏の意思の強く表れた絵の核には「どんな人間もそれぞれが感じる素敵な自由を謳歌できますように」という、どこまでも穏やかでピュアな祈りが脈々と描かれていました。

 

 

 

【ここからはファッションの話】

 

反骨精神、とまでは言いませんが、世間で流行っている服だとしてもそれが「変だ!」と思うなら、自分の心に素直に従って手を出さないようにするのは大切だと思います。

またその逆に、流行りは過ぎてしまった服だとしても、そのスタイルが好きなら世間など気にせず、構わずに着ることです。

でも、「『ダサイ』と周りに思われたくない」という気持ちもあると思うので、着る際には今の流行りに少し寄せたマイナーチェンジをすると昔のかっこよさを失わずに、またダサイとも思われずに、好きな服を着れると思います。

 

例えば、当時エビちゃんに心を奪われたCanCam世代の人の中で、今のざっくりしたシルエットの服がつまんないと感じている人も多いのではないでしょうか。

でも、当時のまま上下ともボディコンシャスな服を着ると浮いてしまうので、トップスだけ当時のもの(半袖やノースリーブのタートルニットなど)を着て、ボトムはマキシ丈やロング丈のふわっとしたスカートやパンツを合わせて着る、もしくはボトムにスキニージーンズとニーハイブーツ、トップスにはオーバーサイズのニットを合わせますが、ベルトでウエストマークしてスッキリ見せるなど、トップスかボトムのどちらかに今の流行りの雰囲気を入れると当時のアイテムもちゃんと使えます。

 

私は好きな服なら大学生の時の服でも大事にとっていて、今でも普通に着ます。

いくら古くなろうが、自分が「とことん好き」だと思った服はいつまでも自分を魅力的に見せてくれます。

見せてくれないとしたら、着方にひと工夫がないか、当時買う時に「とことん好き」とまでは思っていなかったか。

もう一度、手持ちの好きな服を信じて、自分の個性を信じて、自由に着てみてはいかがでしょうか。