タイトルの通りです。
岩国の学校教育資料館が良かったんです。
いい気分になりました。


岩国といえば、錦帯橋!シロヘビの舘!
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(いつみても錦帯橋は立派!)

前回のブログ(https://blogs.yahoo.co.jp/nionomiya_ism/40613974.html)に、その楽しさを書いてみました。

さて、岩国すしも食べたし、
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(左下が「岩国すし」というものらしい。このほか、イカソーメン、にゅうめん、筑前煮みたいなものという謎組み合わせ。)

岩国を出るかと駅に向かって歩き始めたところ、こんなのを見つけました。

「岩国学校教育資料館」
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(擬洋風建築というやつか。)

名前からわくわくしますね。
ググっていても、あまりヒットはしませんで、有名な施設ではないようです。

きっと、昔から残る学校がそのまま残り、郷土の歴史的な様々なものが保存されているのでしょう。
赤穂市歴史博物館(https://blogs.yahoo.co.jp/nionomiya_ism/40119372.html
や、高梁市郷土資料館を思い出します。

昔の役場や学校を、丁寧に保存して、何かしらの地域のお宝(と地域住民が考えているもの)を保存している、そんな場所が楽しくないはずがありません。

さて、この学校。
岩国市の公式HPには、以下の通り説明がありました。
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岩国学校は、明治3(1870)年に岩国2代藩主吉川経健(きっかわつねたけ)が藩の青少年を教育するため学制の大改革を行い、旧兵学校と文学校を公中学・公小学に組織を改めて現在地近くに新築したもので、翌明治4(1871)年2月に開校しました。
最初の校舎は上層を教員詰所、下層を教室にした二階建てでしたが、学制発布の明治5(1872)年に三階を増築しました。
当初の大部分はほぼ和風様式でしたが、増築した三階は屋根鋼板ぶき、アーチ窓、ヨロイ戸付、しっくい大壁造りの洋風でした。この和洋を合わせ取り入れた手法は、明治初年の教育制度の激しい移り変わりと文明開化の気運を象徴するもので、全国に現存する明治初年の学校建築の中でも、様式の特異性において他に例をみないといわれています。
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また、「日本の電気の父」となる、藤岡市助(ふじおか いちすけ)さんの、出身校ということで、関連品も展示されていました。

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(家電。藤岡さんゆかりの品かな。)

とはいえ、ぼくは展示物の記憶はあんまりありません。
というのも、資料館のおねーさんが、とても綺麗で、マンツーマン(入場無料なのに、終始お客さんはいませんでした。)で展示物を解説していただいたのですが、おねーさん綺麗だなーっとしか覚えていません。

仕方ないので、マンツーマンの解説終了後にちょっと撮った写真を掲載します。
資料館の中は、こんな感じでした。

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(アサヒグラフ。昔の写真は眺めるだけでも楽しいので、時間があればゆっくりページをめくりたかった。)

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(昔の教科書のコーナー。自分が使った教科書が、「歴史」になってる。だんだん、「経験」したものが「歴史」になっていく。日本史の中に自分がいる感じ。)

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(岩国の「くらし」のコーナー。価値は分からないけれど、貴重な資料なんだろうな。)

綺麗なおねーさん、ありがとうございました!!


〇おまけ写真

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(錦帯橋をイメージしたという、西岩国駅。かっこいい。)

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(「しない、させない、許さない 人権を侵す 身元調査 お断り」
岩国は駅前の一等地にこんな看板が出ている街でした。
ちょっと意外でした。)