ここまでの雑文のなかで様々な怪奇現象を分析してきた。私は源流釣り師としてや沢屋として、ほとんど単独で山奥を歩いているけれど、実は、とっても怖がりで怪奇現象には全て科学的な説明が付くはずであると信じこみ、怪奇を怪奇でなくすることで、ようやく、安心してきた。


しかし、現実には、超自然現象よりも自然現象の方がよっぽど怖い。


まず、何といってもクマの恐怖。こいつが人間を知らない奴だと、せいぜい興味本位で天幕の周りを周回するぐらいだからよいが、ちょっとでも人間の食べ物の味を知っている奴だと困る。一応熊スプレーで対処するつもりだが、上手くゆくとは限らない。



次に怖いのが、天変地異である。山岳渓流において、天変地異は日常茶飯事。里が大雨だの何だのと大騒ぎしているときの山奥では、鉄砲水や土砂崩れは当たり前。落雷をともなう大雨が降ってきたら、どんなに用心深く天場を選んだとしても危険は完全には回避できないから、緊張しっぱなし。



でもやはり、幽霊も怖い

幽霊が見える原因を科学的に突き止めたつもりではいるけれど、現場では超自然現象のままである。あとになって、理屈が付けられるのであって、その場ではどうしようもないからだ。


例えば、黒部湖で黒部川と合流する東沢を奥黒部ヒュッテから2日がかりで岩苔乗越まで遡行したときの話。その年は降雨量が多く黒部川の上ノ廊下の単独遡行は断念して東沢にかえて入渓した。天候悪化のため想像よりも行程が厳しくなり、体力を消耗しながら、釣り歩いて二日目の昼下がり。


天気はあまり好くなく、まもなく雷雨になることがわかりきっていたので、早めに釣りを止め歩きに徹していたときであった。


何と上から人が一人歩いて来るではないか。しかも、軽装だ。どんなに早く歩いても奥黒部ヒュッテまで陽のあるうちに着くことは不可能。職業的な沢屋ならば食を自給しながらテントも無しで山に何日も入っていられるが、目の前を歩いてくる人はまだ若く、なよなよとした感じの青年であり色も白い。しかも、異常に疲れているのか抜け殻のような感じで活気がなかった。


そして、すれ違いざまに言葉を交わそうとしたその瞬間、彼の体が少し透き通っていることに気がついた。

これは幽霊である。そう云えば、川岸を歩くと砂利を踏む音がするはずだがその音もない。スーっと歩くその様子の面妖なこと。


私はその幽霊とすれ違い、しばらくたって幽霊の体が徐々に薄くなり終には見えなくなってしまうのを確認してから再び歩き始めた。


このときのことは忘られようもないが、実は緊張したものの恐怖感はなかった。幽霊の噂は怖いが、幽霊そのものは珍なるもので怖くもなんともないものだということに気が付いたのだ

恐怖を感じても対処の方法がないから、どうしょうもないので本能的に恐怖感が消失してしまうのだろう。




と、まぁ、実に色々な恐怖が次から次へと湧いては消えるものだが、山奥で一人でいれば、次第に自分自身が野生動物であり、最も霊的な存在であことへの自覚が深まり、逆に理性的になってしまえる。


あなたは、鏡の前に立ちさえすれば、一生逃れられはしない幽霊と野生動物の混濁した事物の左右逆転像をみることができるのである。


(終わり)