中村芝翫さんご逝去☆ | ペルコの部屋

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歌舞伎界の名女形、生き字引、物知り博士、中村芝翫さんご逝去。。。

ご冥福を心よりお祈り致します。

>六代目歌右衛門、七代目尾上梅幸に次ぐ女形として頭角を現し、2人の没後は、中村雀右衛門さんと共に現代女形を代表する存在となった。


その芸風は、本当に品があって、しなやかな強さも感じさせてくれて。。。

あ~~もう拝見できないんですね。。。


名人六代目菊五郎直伝の「娘道成寺」の舞台姿が目に浮かびます!


「助六」の揚巻も華やかで風格があって良かったし、一途な娘役「野崎村」のお光も素晴らしかった!「鳴神」の雲の絶間姫も品よく聡明ながらもお色気があって~珍しい立役「勧進帳」の義経も紫の衣装がよく似合って印象的でした!


唯一のお心残りは、ご長男の福助さんの7代目中村歌右衛門襲名を観ることができなかったことでしょうか。。。


<中村芝翫さん死去>歌舞伎一筋、信念貫き 卓抜した技量

毎日新聞 10月10日(月)2時30分配信

 歌舞伎界を代表する名女形、中村芝翫さんが10日死去した。名門、成駒屋の跡取りという恵まれた環境に生まれたが、歩んだ道は平たんではなかった。

 幼くして父、五代目中村福助を亡くし、名女形の祖父、五代目中村歌右衛門とは12歳で死別。当時の自身を「広い原っぱに一人取り残されたよう」と語ったことがある。後ろ盾をなくした少年に手を差し伸べたのが名優、六代目尾上菊五郎で、芝翫さんはその膝元で修業に励み、父、祖父に次ぐ「第3の父」と生涯慕った。

 六代目の得意な世話物の息と芸を学び、踊りの技術を吸収した。舞踊の「娘道成寺」は六代目直伝。1948年に初演し、2000年9月に歌舞伎座の「五世中村歌右衛門六十年祭」で「一世一代」で舞い納めるまであたり役とした。

 49年の六代目没後は「菊五郎劇団」に在籍し、七代目尾上梅幸に次ぐ女形として活躍。64年に叔父の六代目歌右衛門の一座に移籍。2人の女形の2番手として芸風の異なる「菊五郎劇団」と「歌右衛門一座」を経験したことで芸域は広がり、いかなる立ち役の相手役も可能な卓抜した技量を身につけた。「鏡山」での六代目歌右衛門の尾上と芝翫さんのお初は名コンビであった。

 後輩の多くが教えを請い、住まいの地名から、「神谷町」と愛称された。周囲の動きに惑わされない信念の強さを持ち、歌舞伎以外の舞台には目もくれず、芸格を重んじた。

 晩年は体調不良に苦しんだが、建て替え前の歌舞伎座最後の10年4月公演には「実録先代萩」の浅岡をつとめた。

 旧歌舞伎座との別れに際し、祖父、五代目歌右衛門のあたり役を演じ切ったことに、芝翫さんの強い思いが感じられた。9月の「秀山祭大歌舞伎」で初日(1日)のみ出演した「沓手鳥(ほととぎす)孤城落月」の淀君が最後の舞台になった。【小玉祥子】