離婚間際の夫が、

何を思ったのか初めて手紙を寄越してきた。



手書きする時間がなかったと、

MS明朝体がびっしりと印刷されたA4用紙数枚を、おずおずと渡してきた。


この期に及んでなにを伝えたかったのだろうか。




"結婚とは恐らくとても退屈なものです

多くのカップルは恋人から伴侶にクラスチェンジするわけですが

その過程で出会った頃のような情熱は失われ、

婚姻の至福なんてほぼ一瞬で、

小さな衝突が増え何の変化もない日常が続く、

でも俺はね、このとんでもなく退屈なものをこのうえなく大切にしたかった人間なのです

これに優先されるものなど俺にはなかったのだ


いつものちょっとしたボディコミュニケーションも、深夜のお買い物も、選挙デートも、寝る前の抱っこも、なかなか空かないトイレも、生理で機嫌が悪いのも、

きみが関わる日常の全てが俺の日々の糧であり、代えが利かないものでした"



この文章を読んだ途端、驚くくらい大粒の涙が次から次に溢れ出てきた。

今まで色恋沙汰で一滴の涙さえ流したことがなかったというのに。

嗚咽しながら、鬼の目にも涙、という諺を思い出した。



大まかに端折るが、


"きみが好むスキルをもっている男性は支配できないからこそ魅力的に映っているはずだ"


という一文で、この手紙は締めくくられている。



手紙に綴られた、物事に対するきめ細やかな解像度に、改めて驚かれされたのは事実である。

彼は、人一倍苦労してきた人間で、そして誰よりも優しくて感受性の豊かな人間である。


が、彼が感じ取る日常だけが真実ではない。

彼の感じた結婚生活と、私が感じていたそれとは多少なりとも乖離がある。

我々は所詮、赤の他人なのだ。


私は夫にめっぽう弱い。

何故なら、夫は私の7年も多く生きている。

そんな彼にそう言われたら、それが正しい気がして、自身のちょっとした不満なんかどうでもいい気になってしまう。


もちろん、ちょっとした不満なんてものは、夫も抱いていただろうし、我慢できないことは、上手に言葉にしてくれていた。

それを聞いて、省みる努力はしていた。

私も自身の不満はやんわりと伝えていたつもりだったが、伝え方が下手くそなのか、ほとんど改善されることはなかったので、半ば諦めていた。


私の心がぷつん、と切れてしまったのはこんな些細なことなのか。

一生を掛けて愛すると誓ったこの人を、手放す程のことなのか。


この手紙が、初めて貰った手紙だと記憶している。

これを読むまで、こんなにも愛され必要とされていたことを知らなかった。

これは全て、夫の慢心が招いた結果だ。

こんなに愛していることは、きっと相手にも伝わっているだろう、という慢心。


それは幻想に過ぎない。

どんなに近しい相手でも、言葉にしないと伝わらない。



私は、自身の愛を言葉や文章にする努力を厭わなかった。

うっとしがられようとそうしてきた。

愛というのは、相手に伝わって根付いてこそ価値を発揮するものだと知っているから。



私達は何も、死者を愛している訳ではない。

心の中で愛を反芻したとて、恋人は死者のように心中を器用には読み取ってはくれない。


私たちは、目の前の、血の通った生身の人間を愛しているのだ。



彼が数年前に同じような言葉をくれていたら、結果は違っただろう。





離婚届に署名しながら、あなたは再婚するの?と問うた。


君以上の人に出会うこともないだろうからするつもりはないよ。もう結婚はお腹いっぱいだよ。と、今にも泣きそうな顔で彼は言った。




彼の結婚生活は、果たして幸せだったのか、不幸だったのか、それを台無しにしたのはどちらなのか、はたまた元に戻ることもあるのか、

何もかもがわからない。


だから人生は楽しい。



"大事なものを守り抜く強さと、それを見失わない賢さを持って欲しい"


大事なもの。

私にとって大事なものとは、それに値する価値のあるものとは、なんだったのだろう。

結婚生活を、誰の体温も介入させない摂氏0度のままで見つめることも、賢さなのではないか。




寝て起きて、おままごとのような仕事をして酒を飲んで自問して、そしてまた泥のように寝て、


愛とはなんたるか、その本質を問い続ける日々である。