最近、韓国ドラマにどハマりしていて四六時中観ている。
お隣韓国では、どうやら日本以上に、資産や名誉、学歴がカーストを左右するらしい。
ストーリーのあまりの明快さに、爽快感すら感じる。

そしてその為に奮闘するのは、決まって女達である。

自身の復讐の為、あるいは子や配偶者のため、ひいては義一族のために、女たちが血みどろの争いを繰り広げる、というのがお決まりのストーリーだ。


日本のお涙頂戴によくある、清く貧しく美しい者が勝つ、ということもなく、
韓国ドラマでは、勝利した者が絶対的王者に君臨できるのだ。

もともとは、清く貧しく美しかった主人公も、気が付けば財閥の配偶者ないしはスポンサーがついていて、苦労せずにソウル大に入学した優秀な実子が主人公の手助けをしてくれる。

彼女らは、どこまで「清、貧、美。」を貫いてきたのだろう。
韓国ドラマを通して、架空の人物の人生に想いを馳せるのである。



私は幼少期から、
清く正しくあれと力説してきた大人達に、疑念を感じてきた。

果たして、清く正しく生きたとして、それらは港区のマンションの家賃を払ってくれるのだろうか。

グリム童話の主人公のように、美しい歌声で窓際の小鳥を愛でてさえいれば、白馬に乗った王子様はノコノコ現れただろうか。





シンデレラはわざとお城に靴を忘れてきたし、
白雪姫は毒林檎だと分かっていて林檎を齧りました。

ベルは怪獣の正体が王子様だということを気付いていながら知らんぷりをしていたし、
眠れる森の美女は、薄目を開けて王子様をずっと待っていました。


プリンセス達は、いつでも王子様が現れてもいいように、
召使いに言いつけて、毎晩、寝化粧をし、香水を振って床に就いていました。



こうして、彼女たちは賢くたくましく、幸せに生きていきました。
めでたし、めでたし。




もし私に娘ができたら、彼女がどんなに泣き叫ぼうとも、この寓話を語り聞かせようと思う。