ブログを始めて、

最初は読んでいるだけだった。

自分のことを書くなんて何だか想像できなかった。

子供の頃憧れて買った鍵付きの日記帳ですら、

あっという間に投げ出してしまってたし

交換日記(死語)なんて苦痛でしかなかった。

 

そんななかで一番長く続いたのは、

彼の闘病の記録ノートだった。

最初は無印のノートに書いていたけれど、

いつでもどこでも過去のデータを見られるようにと

Lifebear (カレンダー・日記・ノート・ToDoを無料でスケジュール帳に管理できる手帳)

というものにシフトした。

スマホのアプリだと思ったけれど、

PCとも連動してくれていたからスマホが苦手の私にはとても役立った。

診察の日、東京での宿泊予定、新幹線の時間、処方されたお薬、

診察内容、体調、先生に聞くことのメモ・・・

あらゆることをメモしていた。

忘れないように、漏れのないようにいつもピーンと張りつめてPCに向かった。

 

だけど、

緩和ケア病棟から自宅に戻って在宅医療になってからは

PCに向かう時間も余裕も無くなった。

彼のそばを離れることができなくなったから。

寝るときも起きているときも手を離さなくなっていったから。

泣いたり、不安をほとんど口にしたりしない彼だったけれど

やっぱり怖かったんだと思う。

体調が悪くなっていくことを実感していたんだろうなって。

私は最後の余命宣告を伝えなかったから、

あとどのくらいこうしていられるんだろうって言われたときも

ごまかすのに必死だった。

そんな状況だったけれど、

話したことや様子をメモしたかった。

PCまで数メートルの距離が遠い。

PCに向かうと彼に背を向けることになる。

考えた末ベッドのそばに座り、

左手で彼の手を握って膝に乗せたノートに右手でメモした。

スマホで打ち込むよりメモに書いたほうが速いから。

そんなにまでしてつけたメモなのに、

あの日から一度も開いたことが無い。

お骨の隣に立てかけてあるノートたち。

もう一度開く日はくるのだろうかと遠巻きに見ている。

私以外誰も見ることも無いのに、

何であんなに必死で書いていたんだろう。

 

彼に言えなかった命のカウントダウンを記したノート。

最期の余命宣告、

彼は知りたかったかもしれないけれど

やっぱり私には言えなかった。

言えなくてごめんね。。。

言っちゃったらその通りになっちゃうような気がしたから。

最後の最期に秘密を作ってしまったけれど、

今度会えたときに謝るから赦してね。

 

 

 

 

DieMaus