書評「総理」山口敬之 | 仮面ノート

書評「総理」山口敬之

  非常に面白い本である。登場する自民党政治家たちはとても魅力的である。普段知ることのできない人柄を垣間見ることができ、その意味では非常に面白い本である。特に安倍さんや麻生さん、菅さんの人格、表情は、彼らに批判的な人ですら一読するべきであろう。


 ただし、これが「ジャーナリスト」の著した一冊となると、素直に評価はできない。 「まえがき」や「あとがきにかえて」、そして本編中でも著者は、政治家との距離が近くなければ政治の本当の力学を知ることはできないという趣旨のことを繰り返し書いている。


 おそらく、それは正しい。それすら否定する人もいるだろうが、レビュー者はそこまでは著者は正論を言っていると思う。

 だが、あくまでもそこまでである。


 読み進めると著者は時に政治家のアドバイザーになり、時にメッセンジャーボーイとなっていることが分かる。印象として著者は、それらを喜々として書いている。ここまで来たらジャーナリスト失格であろう。


 永田町報道には昔からこの手の記者がいたのだろう。大手新聞社の会長などがいい例だ。記者の職分を超えて、永田町のプレーヤーに成り下がるのである。しかも、本人はそれにご満悦なのである。


 だが、これまでそれをここまで開けっ広げにノー天気に書かれることはなかったのではないか。報道側にはそれなりに羞恥心があっただろうし、
読者側にはそれを嫌悪する良識があったからだろう。
 本書を読むと、文化や知性の崩壊が政治報道の分野まで及んでしまったと感じざるを得ない。


 政治の世界は変化する。情報化社会は激動する。
国民だって日々の生活を送りながら少しずつ変わる。
にもかかわらず、政治取材の世界だけは未だ「55年体制」のままであることがよく分かった。


 せめてもの救いは著者が民放記者であったことである。
つまり、国民は彼の報道に金を出していないことである。
これが購読している新聞や雑誌、公共放送の記者による一冊だったら、
私は購読を止めるであろうし、受信料を拒否するであろう。
そう思わなければ、一読者、一国民としてやってられない気分になる一冊であった
(この本はちゃんとお金出して買いましたけどね)。