昨年の第65回ベルリン国際映画祭で銀熊賞の1つで、「新しい視点を示した作品」に贈られるアルフレッド・バウアー賞を受賞したグアテマラ映画。ちなみに、ベルリン国際映画祭も賞の内容が分かりづらいですが、金熊賞が作品賞で、その他の主要な賞は銀熊賞と言えます。と言うのも、銀熊賞の中には、今挙げたアルフレッド・バウアー賞の他に、審査員グランプリ、監督賞、男優賞、女優賞、脚本賞、音楽賞、芸術貢献賞の8つがあるからです。なので、一言で銀熊賞受賞と言っても、どの部門で受賞したのかまで明記する必要があるんです。



この映画のオリジナル脚本も書き、監督したのは、グアテマラ出身のハイロ・ブスタマンテ。この映画は、監督が子供の頃に住んでいたマヤ族の土地グアテマラ高地で見聞きした事を基に作られているそうです。その為、主人公となるマヤ族はカクチケル語、そしてグアテマラを支配している人達はスペイン語を話しているので会話が通じないなど、現実に即した物語が展開します。




物語の主人公は、17歳になるマヤ族のマリア。マリアは火山のふもとで農業を営む両親と共に暮らしています。ここでのマヤ族の暮らしは、過酷な自然に囲まれている事もあり、極めて原始的です。しかも、マリアの家は借地で農業をしていて、農作物を収穫できなければ、追い出されてしまいます。



そこで、両親はマリアを、土地の所有者で、コーヒー農園の主任でもあるイグナシオに嫁がせる事にします。妻に先立たれたイグナシオは、3人の子供を男手ひとつで育てていたんです。イグナシオが仕事で街へ出るので、戻ってきたら結婚する話となりますが、実はマリアには好きな男がいました。それは、コーヒー農園で働いている青年ペペ。ペペは、より良い暮らしを求めてアメリカに行くと言い、マリアも一緒に連れて行って欲しいと言います。すると、ペペはマリアの処女を求め、控えめで真面目なマリアは悩んだ末にペペに処女を捧げました。そして、ペペと一緒にアメリカに旅立つ約束をしましたが、なんとペペはマリアを置いて、先に旅立ってしまったんです。



しかも、なんとマリアは妊娠してしまい、両親は悩みます。イグナシオと結婚が決まった事で、イグナシオから住む家と仕事を与えられているからです。ところが、その農地には蛇がたくさん発生し、村人たちは蛇を駆除して作物の種を撒こうと思っていますが、なかなか上手く行きません。



マリアの母親フアナは、何度か堕胎を試みたものの失敗。遂に意を決して、「この赤ん坊は生まれる運命だ」と言い、蛇を駆除して作物を収穫できれば、マリアの妊娠がバレてもイグナシオは土地から追い出す事はないと、この事態を収拾させる為に頑張り始めます。果たして、その結末とは?そして、マリアを待ち受けるのはどんな運命なのか?




物語としても普通に面白いのですが、このグアテマラにおけるマヤ族を取り巻く実情を知ると、よりこの物語に関心を持つと思います。南アメリカのグアテマラは、メキシコの南にあり、国土は北海道と四国を合わせた広さよりも少し大きいそうです。この映画でマリアが火山のふもとに住んでいるように、日本と同じ火山国で地震もあり、温泉もあるそうです。その一方で、1年を通して気温にあまり変動がない為、1年中過ごしやすい「常春の国」と言われているそうです。人口はおよそ1500万人で、そのうち46%がマヤ系先住民だそうです。そして、映画で描かれているように、マヤ族は土地の神への感謝と畏怖を忘れず、昔ながらの習慣や伝統を守りながら生活しているものの、若い世代はペペのようにアメリカ文化への憧れを持っているそうです。ちなみに、グアテマラ国民の1割に当たる150万人ほどがアメリカに移住し、そこで稼いだお金を家族に送金する事で家計を支えていると言われています。また、マヤ族は社会の末端に追いやられ、教育や保険医療と言った基本サービスの利用も制限されていて、貧困率は80%に上ると言います。そこで大きな壁になっているのが言葉。行政サービスなどを行なっている人達はスペイン語が基本で、マヤ族などはそれぞれの言語しか知らないので、会話が通じないんです。その為に、マヤ人たちは自分たちの言語を捨てて、スペイン語を学ぶようになったと言いますが、それは民族の尊厳を損なう事でもあると言います。そこで、1990年にマヤ言語アカデミーを設立し、それぞれが使っている言語に対する文法書や辞書を作り、子供たちの教育に乗り出した事で、今ではスペイン語と、それぞれの民族の言語で教育を受けられるようになっているそうです。ちなみに、今では先住民族の子供でも、ほとんどが学校に通っているそうです。



この物語に登場するマリア達と同じカクチケル語を話す人達は、実はグアテマラ政府がある首都グアテマラ市に近い、すぐ西の高地で暮らしていて、主食のトウモロコシの他に、キャベツ、じゃがいも、ブロッコリーなどを作って、グアテマラ市に供給している上、多くの人達がグアテマラ市に働きに行っているそうです。ちなみに現在は、自分をカクチケルと言う人は100万人を越えるそうですが、多くの人がスペイン語しか話さず、カクチケル語を話す人は40万人ほどだそうです。この映画でも、街でも仕事をしているイグナシオは、カクチケル語とスペイン語の両方を話します。そうした事からも分かるように、都市に近い場所で暮らしていた事で、文化的にも言語的にも、この地を征服したスペイン人からの影響を受けていて、マヤ人たちの多くはキリスト教徒であり、最近はプロテスタントの進出が顕著だと言うんです。ただ、最初に言ったように伝統を重んじている事もあるので、山や川などにも神がいると考え、そして、映画に出てくるようなタバコを口にくわえた土着の神マシモンも信仰しているそうです。また、アフ・クィフと呼ばれる祈祷師も信じているそうです。



その他にも映画で見られるように、蒸し風呂に入る他、民族衣装も本物で、まさにマヤ人たちの生活そのものを写し取っています。ちなみに、民族衣装は、マヤの先祖代々のもので、民族の誇りでもありますが、スペイン人が入植した時に、マヤの人々の集落を分類し、集落や民族ごとに色と種類を決めたそうです。それによって、一目で出身が判別できるようにラベルを貼ったと言う歴史にも巻き込まれましたが、映画で使われている民族衣装は、監督が育ったソローラト村のものだそうです。そこで、村の家々を回って民族衣装を集めてきたそうです。ちなみに、この映画で主人公マリアを演じるマリア・メルセデス・コロイの出身地でもあるそうです。



そして、実はこの映画の基になったのは、監督の母親から聞いた、公の医療関係者が組織ぐるみでマヤの赤ん坊誘拐に加担していた話だそうです。グアテマラは、196096年に国内紛争があり、厳しい人種差別と幼児誘拐が相次いだそうです。なんと当時、幼児の国外流出数は世界一だったそうで、国連は年間400人以上の未成年が拉致・誘拐されているものの、それが全く刑事告訴されていないと告発。それは、法曹界・医療関係者・児童保護施設などの公の機関が組織ぐるみで関わっていたからだそうです。そうした話と自分が幼い頃に見聞きしたマヤ族の生活などを絡め、監督はこのオリジナルの物語を作ったそうです。そして、この物語は時代を特定するようなものは出てきません。それは時代ではなく、普遍的な物語にしたかったからだそうです。



この映画の元の題名は「火山」。マリア達が暮らしているのが火山のふもとと言うのもありますが、これはマリアと、母親フアナと言う2人の女性たちそのものを指しています。女たちは、その身体に常にマグマのような熱いものを抱えているからです。マヤの人達は男社会と言え、この映画に出演する人達を探している時でも、女性たちは家族の男たちの許可が無ければ、撮影に参加する事が出来なかったと言いますが、しかし、そうした状況だからこそ、女性たちは内に秘めるものがあるのかもしれません。この映画でも男たちが重要な話は決めるものの、その裏には女性の意を決した時の覚悟があります。男を立てているように見えて、大地のように男を包み込み、そして、自分で正しいと思った道を貫き通そうとする強い意志。まさに、火山と言うのは、この土地で暮らす女性たちを指している、女性の物語になっているんです。



グアテマラ映画と言うと、あまり馴染みがないかもしれません。是非、この映画で知られざるグアテマラへの道を開けて欲しいです。



出演は、マリアに、マリア・メルセデス・コロイ。家族の中で学問教育を受けた最初の世代だそうで、学校で初めて学芸会「白雪姫」に出演した事で、演技に目覚めたと言います。そして、地元のミスコンテストにも出場したそうですが、その開催場所が、インディオと白人の子供たち、メスティソが暮らす地域だった為に、マヤ族のマリアは人種差別に直面したそうです。ただ、今回この映画で主演するに当たり、マリアがそうした人種差別の被害者だった事も重要だったと言います。フアナに、グアテマラで活動する女優マリア・テロンなどです。ちなみに、ペペを演じるマーヴィン・コロイもイケメンです(笑)。監督・脚本は、ハイロ・ブスタマンテ。ちなみに、ヘアメイクを、日本人のサトウアイコが担当したと言う、国際色豊かな映画でもあります。

映画『火の山のマリア』HP http://hinoyama.espace-sarou.com/