こんにちは。

マインドコーチ&「居待月」という居酒屋を運営&一般社団法人チアフル の代表理事をしております丸山伸予です。

 

今日もこのブログを開いてくださり、ありがとうございます。

 



今日は、マイコーチから新しい瞑想のやりかたを教えていただきました。


実は私は過去、聖書の神を信じていたことがあり、瞑想には多少の苦手意識があったのです(^^;


なぜなら、通っていた集会のドイツ人の宣教師であったベック氏が、瞑想を禁じていたからです。

思うに、自分を空っぽにする瞑想をすることは、サタンが入りやすいとされていたからという理由で、クリスチャンはいわゆる東洋的な瞑想を嫌っていたのでは?と思います。
(※もちろん聖書的な祈りに近い瞑想は存在するようですので、私の解釈が違っていたら申し訳ありません)

ですが、心の学びをしていくうちに、自分の内面と向き合うことや、「今」をみることの大切さに気付くうちに、私も瞑想をするようになったのです。


とはいえ、私の瞑想は目を閉じて呼吸を感じるという、ごくごく簡単で初歩的なものですが・・・(^^;
 

 

今日は、瞑想の話しの最後に、瞑想とは関係ありませんが・・・

思考が多いと(神・大いなるモノ・ハイヤーセルフ)の入る余地が無いと教えていただき、至極納得したのです!

なぜなら過去ベック氏が、「自分が頑張りすぎると神の救いの御手(みて)は届かない」とおっしゃったことを思い出したからです。


自分が頑張りすぎるということは、思考で考えて自分のやり方を貫くことに他なりません。

そもそも、自分ですべて背負って頑張れるなら、そこに救いの手は必要ありませんものね(^^;

思考しているということは、「今」にいないということです。

未来のことを夢想したり過去の出来事に思いを馳せることは、「今ここ」ではありません。


人はなんと、「今」を生きるのが苦手なのでしょうね。


だからこそ、瞑想によって自分がどんなに普段から「思考」しているかに気づくことが必要なのですね。


なんたって、人は殆ど毎日無意識に思考していますから(^^;



何度も申し上げますが、瞑想は大いなるモノや神様からの答えをもらうためにするものではありません。

 

「今」を感じ、とにかく自分が常に「思考」していることに、まず気づくことなんですね。


それは、我を手放すことに近いことかも知れません。

自我を手放していけばいくほど、救いの御手が入るのでは?と思う私です。


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