おはようございます。

パーソナルプロデューサーの丸山伸予です。


昨日一昨日と、大切な友人のご主人のお葬儀のお手伝いをさせていただいたせいか、こんなことを思いました。

本日の内容は、とてもプライベートなネタですので、ご興味のない方はどうぞスルーしてくださいねニコニコ


私には三つ年上の兄がいるのですが、大学卒業後東京が好きではないと、旭川の大学で音楽の先生になりました。

結局、旭川の女性と結婚し・・・思えば30年もあちらで暮らしています。

実は・・・私、自分に兄がいることを、結構忘れて生きていますあせる

異性の兄妹だからなのか、私たち兄妹だからなのかわかりませんが、本当に連絡し合うことがありません(;^_^A。


そんなわけで、兄の存在は普段まったく忘れているのですが、30年近く前に亡くなった父のことは思い出すのです。

母と父は、私が10歳の時に正式に離婚しました。

私が生まれたときには、すでに父に別宅があったようで、私にとって父はたまに帰ってくる人

でも、帰ってくるときは、ステーキ肉やらあんみつやら、お土産を抱えてくるので、私は父が帰ってくるのが嬉しかったものです。

母も、別に父と喧嘩をするわけでもなく普通にしていましたので、もの心つくまでは、それが普通の家族のかたちなのかと思っていました(笑)。

両親が離婚した後も、父はちゃっかりお土産持参で泊まりにきていましたし、何しろ会話の楽しい人でしたので、父が来るといっそう夕食が楽しくなって・・・。

本当は、ちゃらんぽらんな男性だったと思うのですが、私にとっては憎めない父でした。


父は、おそらく会社員が向かなかったのでしょう。

私が子供のころから、何かしら自分で仕事をしていましたっけ。

器用でしたので、50歳を過ぎた頃から印鑑を彫って生計をたてていました。

また、スピリチュアルなことも好きだったようで、印相はもちろん手相なんかもみていたようでした。
今思えば、口八丁の父にぴったりの仕事だったように思えます。


さて、そんな父が私にプレゼントしてくれた物は、どれもセンスがよくておしゃれなものばかりでした。

本人も、帽子をいつもかぶって(剥げていましたので 笑)、蛇革の靴を嫌味なく履いてくるような人でしたから、母にもセンスのいい服をプレゼントしていました。

私には、エナメルの赤い靴や赤いバンドの腕時計など、しゃれた小物をセレクトしてくれましたっけ。


でも・・・父がくれた最高のプレゼントは、父が商売にしていた、象牙の印鑑です。

女の子だから、結婚したら姓が変わるから、名前だけの印鑑にしたよって。

この印鑑、高校生のときにもらったのですが、その時はありがたくもなんにもありませんでしたあせる

だって、学生のうちは印鑑なんて必要ないですものね~(^▽^;)


でも、大人になってから、この印鑑は私の実印となりました。
(実印ですので、画像をアップできずごめんなさいあせる

そして、印鑑を使うたびに、父を思い出すのです。

そう、父よりずっと長く一緒にいた兄よりも、思い出す回数が多いのです(笑)。

まさか父も、自分を思い出させようなんて思って印鑑をくれたのではないと思います。

でも、本人が仕事していたものが、私にとっては最高のプレゼントになったなんて・・・。


もしかしたら、既製品ではない、父の手作りの印鑑だからこそ、私は嬉しいと感じているのかも知れませんね。

だとしたら・・・やっぱり父の作戦勝ちです(笑)。

さて、私は息子に何を残せるのでしょうね・・・(^_^;)




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