「失敗に応援される専門家」

「愛の循環メソッド」

メンタルコーチの荒井タカヒデです。

 

 

お盆が近くなってくると、

近所の公園にやぐらが立ち上がります。

 

盆踊りの準備ですね~。

 

 

 

 

僕は学生時代、

全校生徒の前で弁論してましたし、

 

バンドでボーカルやドラムを

やっていましたし、

 

100人くらい入るガールズバー

みたいなところでは、

毎度ホステスさんからリクエストで

 

『最後の雨』『言えないよ』
『逢いたくてしかたない』といった

バラードをよく歌っていました。

 

 

 

じゃ、

「人前って全然恥ずかしくないでしょ」

と思われるかもしれません…

 

 

が、

 

 

実はこの盆踊り、

なかなか苦手なんです。

 

何ででしょうね?

 

踊っている人たちは本当に

楽しそうに踊っている。

 

でも、そこを取り囲んで、

腕組みしながら眺めてる人達

もいる。

 

どちらかというと僕は後者の

タイプです。

 

 

なかなか輪に入れずに、

目の前を通り過ぎる参加者を

ただ見ている人。

 

誰が見ているわけでもない

はずなのに、

最初の一歩がなかなか出ない。

 

そして、どこか理屈で

「まぁ、

 踊らんでも雰囲気だけでも楽しいし」

と自分を納得させているようなところ

があるのです。

 

 

 

ついには子供に手を引かれて

輪に入るのですが、、、

 

入って踊るとものすごく楽しい!!

 

そして輪の中から、見ている人達を

みると、先ほどの景色が

一変するのです。

 

「見てないで踊ればいいのに~」

 

この心境に変わるわけです。

そして、別に恥ずかしくもなんともない。

 

 

盆踊りの楽しさは

理屈ぬきの楽しさ。

 

 

 

昔父親は、何かと「そんなくだらない」

と言うのが口癖でした。

 

理屈で楽しさを判断しているような、

そんなところがあった。

 

 

なんだかこの人生も

中で踊る側か、外で見る側か。

参加するか傍観するか。

の2通りがあるような気がします。

 

 

理屈ぬきで人生を楽しめるか?

 

 

「くだらない」という考え方を

していると、

 

この「盆踊り」のような

理屈抜きの喜びは、

体験できずに終わってしまう。

 

 

理屈で『無意味』ととらえる

ことによって、

 

自分からこのような機会を

拒絶してしまうことは、

 

ある意味人生を

無味乾燥にしてしまいかねない。

 

 

 

 

美術展で絵画の展示会が

デパートなどでありますが、

 

よく行っている方に聞くと、

 

最初から絵がわかって行っている

わけではなくて、

 

良い絵を見ることで、

絵を見る目が養われていき、

 

やがて絵を見る楽しさが出てくる

のだそうです。

 

今までの僕のように、

最初から「自分には絵はわからない」

と決めつけ、

 

展示会に行かない人というのは、

もったいない生き方かもしれません。

 

 

同じ阿呆なら

踊らにゃそんそん。

 

 

 

 

今日も最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

「頑張る」のには基準が必要。

ワクワクするなら頑張ったらいい♪