人の相談にのることは、権力への階段へと至る道である。
私は、政治力とは、よくも悪くも相手に言うことを聞かせられる力だと考える。
そしてこの力は、目下のものから持ち込まれる相談事の分量に比例して大きくなる。
これが大きい人間は、キーマンとして組織から排除されなくなる。
問題の解決にかかる手間と与えられる権力は、表裏一体だ。
明確なトレードオフの関係にある。
これは、歴史を紐解いていて見ても明らかだ。
たとえば平安時代。武士が勃興し、最終的に力を伸ばした原因は、地域住民と国司の相談に乗ってもめを事解決し、貴族たちの相談に乗って武力で権力争いというもめ事を解決し、最終的には貴族たちが独力では何もできない状況になったからだ。
権力とは立場が上の者が与えるのではない。
彼らは追認するだけだ。
権力を与えるのは、部下をはじめとした立場が下の者なのだ。
部下の支持のない状態で権力を振るうと、部下たちは、その上司が正しい、正しくないの如何に関わらず、その上司を理不尽と感じる。
そして、その上司を排除しようとする。
しかし、残念なことに、世の中には部下の支持をとりつけるのが下手であるにも関わらず、かつその自覚もなく、権力をふるってしまう上司があまりにも多い。
かといって、彼らを好き勝手に部下に排除されると、組織としての統制がとれなくなる。
こうした無能だが、組織に忠実な上司を守るために考え出されたのが、終身雇用をはじめとした身分制である。
身分制とは、無能な人間を守るセーフティネットである。
実に残念だが、どうやら私もそうした守られてきた無能な人間の一人かもしれないと、最近うっすら思うようになってきた。
なぜか。
相談されないのだ。誰からも。
全員に嫌われているわがボスも大概だが、私も似たようなものだ。
私は自分には資質がないことは基本的に人にアウトソースすることにしている。
しかし、それが結局は平安時代の貴族と同じように、権力を握るのを殺いでしまっている。
この状況は私をひどく不安にさせる。
政治力がないとはリスクヘッジがないことを意味する。
会社をはじめとする社会は、私をいつでも社会的に抹殺できるということだ。
ならばどうするか?
方法は一つだ。
キーマンの側近となる。
これしかない。
キーマンの意志決定をしやすいように専門知識を磨き、スペシャリストになる。
それしかない。
かくして、世の中のスペシャリストは、取り巻きとなり、権力者へと群がっていく。
私は英雄が好きだった。
世界を変えたかった。
歴史に名を刻みかたかった。
全員に肯定され、称賛されたかった。
しかし、結局はアリになるしかないのか。
いや。アリになるのはまだ早い。
知識をもっと磨くのだ。
もっと取り入れるのだ。
人格の欠落を知識で補うのだ。
相談されるように。
それに答えられるように。
知識は力だ。
富の源泉だ。
そして、権力から自分を守る砦なのだ。
もっと身につけなくては。