日本は貧富の差が開いているとか、幸せ度が低いとか色々言われていますが、オーストラリアでは子供の学校に難民の子がいたり、戦禍を逃れて来たり、迫害されてきたり、およそ普通の日本人が思いもよらない経験をなさっている方が多くいます。

今40代くらいのベトナム人のK君はボートピープルで赤ちゃんの時に難民としてこの国に来たそうです。

命からがら、大変な思いをして生き延びた私たちの祖父母の時代。
先の戦争に負けてそこから財を成した人、戦後の農地改革で土地を没収され、貧しい方に転落した人、私たちはそんな人達の末裔です。

あの子のおうちはお金持ちでいいな。

リカちゃん人形いっぱい買ってもらえて。

あの子は親にバンバンブランドもの買ってもらえて。

海外旅行もどんどんしてるし。
高額な塾にもどんどん行かせてもらえるし私立大に行く選択肢もあるんだ~。

 

幼いころからだんだん、なんとなく見えてきた自分のスタンダード。
それを決めたのは自分。

他人が持っているものと自分が持っていないものを見比べて。羨ましいと思ったり、嫉妬したり。

それは容姿に関しても一緒で、自分のブスさ加減に嫌気がさしているところへ”えーやっだ~”とぶりっ子するカワイイ同級生にイラっとするとか。


生まれや育ちのどうにもならなかったことで、劣等感をもつのは当たりまえだとも思えます。

でも、それに縛られている意味もないし、持ち続けてもいいことがありません。
それをバネに頑張れる、そんな人はまだいいけど。それでも劣等感は持たない方がいい。
劣等感があるという事は優越感もあって、自分より下の人を探して見下すという、自分がされていた(と自分でおもってしまったこと)をしてしまうから。

 

持っている人は持ってないという事を知らないので、案外人を下に見ないものです。
例えば早稲田や慶応を出て商社で働いているような人でも東大出身者に異常にライバル意識をもっていたりしますね。
一流大卒の人でさえ学歴コンプレックスはある人にはあるのです。
そして自分より下と一般に言われる大学を出た人を”○○大”だもんね。なんて自分たちを上げて、他を見下す会話をしていたりするんです。

ま、みっともないわね。

たまたま良い大学出身の友達と話していた時に頭のいい子はとにかくいい大学に入ってその中で頭のいい人たちに切磋琢磨されて、就職に有利な学歴を持ち、賢い人間に育つという意見を聞いて、ちょっと考えこんでしまいました。
そしてやっぱり自分の子供たちの大学についていい大学でないと意味がないとか、馬鹿な大学に行っても仕方ないっておっしゃってたけど、すみません、私馬鹿な短大卒ですけど~(汗)って言えばよかったかしらん。はぁー。

まあ、私は全てにおいてとことん低いスタンダードかもしれないと、ずーっと思ってきましたが。

私の子供たちは進学の時に相談にはのったけど、こうしなさいとこの大学がいいとかここしかダメとか言ったこともないけど、
子供たちは自分で決めて自分の人生に責任をもって生きてくれてます。
彼らのスタンダードが低いとも思わないし、多少の劣等感は有るかもしれないけれど、自分自身にOKを出しているのがわかります。
子供の大学受験に関しては成功なのかはわからないけれど、子育てにおいては成功の部類に入ると私は思って

 

あるがままを受け入れていくという事は、ないままでもいい。そのままでいい。という事が腑に落ちた時、自分のスタンダードが変わるし、威力を発揮していくのではと思います。