幸せになっていいという許可を自分に出してから25年はすぎたと思う。

楽していいんだと許可を出してから、7-8年になる。

 

それでもどこか、アクセルとブレーキを同時に踏んで動けない感覚だったことがあるけれど

今は緩やかに、ブレーキを外し、緩やかにアクセルを踏む感じ。急発進して事故したら怖いもんね。

事故するかもしれないという、不安があるから、そろそろゆっくり、動いているうちに人生も後半に入ってしまった。

というより、子育て中は違うベクトルに全力疾走していたので、それが終わってちょっと一休みしていたのかもしれない。
人生も後半と思うとうっかり失敗はしていられないと思っていたのかとも思う。

 

裏を返せば内観の時期をもらっていたのだと思う。
自分と向き合わずして、臭いところに蓋をして、良いとこだけ見ていたいのはどこかちょっと嘘っぽいと思うから。

自分の心の底が知っていることを無視して居続けると病気になって気づかせてくれることはもうわかった。

宇宙と連携したものすごいチームワーク。潜在意識さまさまだね。

 

好きなだけお酒も飲んで、好きなだけ食べていることを許可していれば、太ることも許可しているわけで。運動しなくてもいい許可をしているということは生活習慣病になってもいいという許可をだしているということ。

 

マウンティングしてくる奴や、上から目線で来る奴についてはそういう許可を出している(知らず知らずに)ということかもしれない。
最も、これは取り方なので、自分の受け取り方を変えるという許可を出していけばいいのかも。

私たちの心を自由にさせてあげる為、わいてくる感情や、思考を止めること必用はないけど、行動はちょっと慎重にしたほうがいいのかと思う。そう思うと、心が自由なほど、行動は慎重なのかもしれない。暴走する怖れがあるから?

その怖れと向き合うことにキーがあるとは思うけど。

@@してもよいと言ってみて心が軽くなるところに隠れていた不許可を見出すことができると思う。
巷でいう、自分を認めるということもそういうことなのだなあと思う。

 

今週は毎日瞑想と酒断ちが出来ていてうれしい。