新聞誌上の文芸時評が面白い。文芸評論家の本の引き出しがすごい。新刊本を中心にそえて、多層な物語を紡ぐように内外の物語が紹介されるので、さながらエッセイを読むように、文芸時評をたのしめる。過去記事の中では翻訳者の鴻巣友季子氏が海外小説とリンクさせながらグローバルな書評を楽しませてくれた。紙の新聞を切望していた私も、過去記事がまとめ読みできるデジタル版の醍醐味を味わっている。そして、文芸評論家の視点は、本の引き出しの少ない自分の視点とはだいぶ違う。

 

さて、本書はその文芸時評に取り上げられていた。

 

 

93歳の母を介護している身として、認知症の小説なんて読みたくなかったのに、諸事情で私の手元にやってきた。

 

さて、病院の待合室で「ちょっとあんたら、マスクぴったり口にして、その上から手ぇあてて、咳しなしゃいよ。」と言う老母の言葉は声を出しているのか否かわからない。鉤括弧はついてない。もしかして脳内で発した言葉かもしれない。老母の話は続く。幼い頃に見た見世物小屋の怪魚とかキンタマ娘の話で、もうそこで度肝を抜かれてしまう。そんな時代を生き抜いてきたカケイさんは、認知症だ。

 

カケイさんの頭の中は、いつでも言葉が巡る。もしかして忘れてたしまった言葉の代わりに場面がフラッシュバックしているのかもしれない。幼児と年寄りは手がかかるが、なぜ年寄りだけが厄介者なのか?過去と現在がぐるぐる回りながらも、現状の自分も認識したりする。頭の中で、カケイさんの過去が語られる。そこは貧困と暴力の世界。読みたくなかったのに引き込まれてしまうのは、カケイさんが、その凄絶な体験をどうやって生き抜いてきたのか知りたくなるから。

 

ミシンと金魚。幸福の象徴になるはずだったのに。

 

著者の経歴は、ケアマネジャー。なるほど。2021年のすばる文学賞。