この本を手に取ったのは、「星に仄めかされて」で書いた通り、著者の新聞記事がきっかけで、これを読むのを楽しみにしていた。ディストピア小説ながら「言葉が遊ぶ世界は不穏なのに悲壮感はない」って本当なのか?

 

先日、多和田氏の三部作を完読した。それなので、三部作の続編として読んでしまった。個別に読んだ人には分かり難く、ネタバレになるけれど、以下感想。

 

三部作で、日本が消滅したと思われたのは、日本が鎖国をしていたせいだとわかる。辛くも日本人は生き延びたということだ。そこで鎖国に至った事情は予想どおりで、自然災害そしてその後に起こった事故も想定内だとすると、政府の対応のまずさと海に囲まれた島国という立地条件が日本を孤立させ、その狂気の社会が生み出した献灯使が派遣されることになる。

 

「太陽諸島」では、太陽を周る惑星としての地球を一つの島と例え、地球上の人類が生き延びるには、太陽と水を守り、人間同士がつながる言語の重要性を説き、柔軟性に欠けた日本人は多様性を受け入れるべきだと著者は述べていると私は読んだ。

 

「献灯使」では、日本を照らす太陽は気まぐれだ。水も土壌も汚染されてしまった。学校では、子供たちが慎重に言葉を選ぶようにシステム化されて、いじめがなくなっている。

 

日本人は長寿になっていた。いや、もともと無農薬で育った年代だけが、健康な肉体をもち、健全な?思考をもっている。必然的に100歳を越えた老人たちが仕事をしながら、孫どころか曾孫の世話をしている。カルシウムを摂取する能力がたりない子供たち。子供の健康に関する情報は日々変化して溢れだし、何が正しい情報なのかわからない。もちろんPCどころかAIも存在していない。日本語は外来語と呼ばれるカタカナが消えて、全て日本語表記になり、外国を連想するものを社会は拒絶している。それどころか、日本語は日本人の生活様式の変化に伴って都合よく変化している。もっと驚くべきことに日本政府は民営化されている。

 

太陽、水、言語を失いつつある狂気の島に未来はあるのか?

 

かつて、遣唐使は唐の文化を取り入れようと海を渡った。さて、ここでの献灯使の使命は何か?そしてこの結末が日本人の末路でありひいては地球の末路なら、太陽諸島から地球は消滅することになる。是非ご一読を。