最近の法務大臣の失言に、二冊の本を読みました。

 

死刑廃止派の著者の意見をじっくり読むことができました。この本の最後五行を抜粋してみると著者はこう語っています。「被害者に寄り添うから、死刑を維持すべきと考えるのか。被害者に寄り添うからこそ、死刑を廃止すべきと考えるのか。「憎しみ」で連帯する社会か、それとも「優しさ」を持った社会となるのか。死刑をめぐる議論は、この国と社会をどのようなものにしていくかという深い議論につながっていく問題だと、僕は考えています。」

 

先の法務大臣にも、新法務大臣にも是非とも読んでもらいたいものです。最後の五行の意味は読んでいただかないと理解できませんからね。

 

本書を紹介していたブログ記事が素晴らしくわかりやすかったので、リブログさせていただきました。

さて、もう一冊。

死刑囚の教誨師としてボランティア活動を続けた僧侶の語る死刑囚とは・・・・。これを読めば平野啓一郎氏の語る死刑廃止論がすんなり心に落ちます。二冊目は再読でしたが、教誨師が死刑の是非を問うていたかを確認の為に読み始めましたが、結局最後まで読んでしまいました。著者の堀川惠子氏は、この本のあとがきで次のように書いています。「なぜ彼は、長く秘めてきた思いを打ち明けたのだろうか。自問自答しながら執筆を進めてきましたが、物語を書き終えた今ようやく、その疑問は大きな問題ではないと思うに至りました。彼の告白をどう受け止め、どう生かすかは、死刑執行の現場を見えない手で支えている私たちひとりひとりに託されたものであり、それぞれが痛みを共有し、思いを深めていくことだろうと考えています。」

再読でも尚、胸が締め付けられるような一冊です。

 

2016年2月にブログアップしていたので、自分のブログをリブログしてみようかと思いましたが、私の実力じゃできませんでした。それなので、コピーして貼り付けたのでどうぞ。

 

 

 

この本には、教誨師として死刑囚と向き合った僧侶の人生があります。広島の寺に生まれ原爆で一命をとりとめた教誨師渡邉普相が語るのは、誰でも知る事件の真相でもなく、大罪の前に頭をたれる死刑囚の姿でもなく、教誨という役目に苦悩する姿です。教誨面接によって更生の道を確信できる囚人でさえ、死刑台へ送り出すしかない渡邉氏の無力感が、死刑制度の是非を問い、ほとんど公開されていない教誨のあり方にも一石を投じています。そして渡邉氏は死刑囚に対して、救いよりも話を聞いてその時間をその空間を寄り添うことだと達観していきます。

特筆すべきことの一つとして、教誨師もさることながら死刑執行の役目を担う人達の恐怖と苦悩を推し量ることができたことです。それらすべてに関わる法務大臣の人選には責任がありますし、とにかく重いテーマがぎっしり詰ったノンフィクションです。

 

著者堀川惠子氏が日経夕刊「心の玉手箱」に5回の連載を寄せてました。中高時代に陸上選手として一番を目指した著者が「才能に恵まれぬ者の生き方」で書いてます。「もう一片の悔いもない、できることは全てやったと晴れ晴れした気持ちで天を仰いだ。一番になる目標を追う楽しさを味わった」堀川惠子氏のスタンスは過程が大事なのです。教誨師は、堀川惠子氏に自分と同じものを感じて、秘密を明かしたのではないでしょうかね。

 

死刑について考えるなら、私はこの二冊がお勧めです。この本の中で登場する法務大臣も、いまなら即罷免。