一度アップしたブログが消えてしまった。どこかに保存されていないかと探してみるけれどわからない。本日一番の衝撃。とりあえず、内容思い出しながらもう一度。これが思い出せないんですわ。

 

「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」と続いた双子の物語。本書は最終章なのか?謎は深まるばかりで、自分の読解力にも自信なし。結果この三部作に整合性を求めずに、自分なりの解釈でこの三部作のもやもやを解消することに決めた。

 

というわけで、ネタバレなしでは書けないので、これからこの三部作を読む方は以下ご注意を。

 

 

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「ふたりの証拠」では、双子の片割れ15歳のリュカが、そのまま国境近くの亡き祖母の家に住み続けてました。日記は「誰にも読まれたくないが、クラウスの為に保存しておかねばならない」というリュカによって続けられます。クラウスは父親を犠牲にして地雷の位置を確かめて、国境を越えたことになっています。

 

ところが、「ふたりの証拠」では、クラウスの生存が確認できません。リュカは解離性同一障害であることがわかります。少なくとも私にはそう読めました。戦争という悲惨な体験と祖母の家での過酷な生活が、リュカにクラウスという人格をつくりだしたと思っていましたが。

 

リュカは30歳で国境近くの町を去り、55歳の時にクラウスとして町に戻ってきます。リュカとクラウスが同一人物として読み進んだ私に「第三の嘘」はリュカとクラウスの二人を実在させています。ふたりは別々の国でそれぞれの人生を歩んだことになります。

そして戦争の悲惨さはもちろんですが、家族の悲劇的な物語のほうが強烈です。ところがその家族の事件でさえもリュカによる創作なのかもしれません。二人いたのだという私の頭の中の混乱はさしおき、とにかくふたりは再会します。

 

というわけで、私の読解力のなさが混乱をまねいて、著者が何を言いたかったのか良くわからなかったのです。ところが解説P265『亡命とは一人の人間がふたつに引き裂かれるような体験で・・・・いつかいた場所への帰還が現実にある土地の帰還などではなく「第三の嘘」そのままに、想像と現実の合わせ鏡でできた迷路を辿って本当はいるとも思っていない、もう一人の似もつかない自分に会いに行く、悪夢のような経験であること・・・』この一文でこの物語の分かり難さもすっきり収まりましたが、ウクライナの避難民達がこれから辿る迷路がここにあるということで、暗澹とした気持ちで本を閉じました。

 

消えたブログを復活できないので、しつこくもう一度アップすることになりましたが、疲れた。もう寝よう。

来週は、水曜日に更新・・・できたらいいけど。