ぼんやりしていたら、もう「神無月」その名の由来は「全国の神々が出雲大社に集まり、各地の神々が留守になる」という説もあるそうな。日本ってやはり情緒的だなあ。

 

さて、「ふりさけ見れば」が随分と進展しています。物語に緩急があるので、毎日楽しみです。それにしても、仲麻呂と若晴の夜、こんなこと新聞に書いちゃっていいの?いまどきは、電車の中で新聞広げる人いないので、まっいいか・・・・。

 

そして井真成が・・・・。

 

日本人をその香りを運んでくる遣唐使船が蘇州に着いたというのに、長安に残った井真成。蘇州に出向く直前に、真備が真成を見かけています。高力士など高級宦官の溜まり場と言われる花影楼に、弁正と共に入っていくのを見て、翌日に真成に尋ねてみたと仲麻呂に言っていますね。真成は、高力士の採寸にでかけたが、弁正と同行したことは認めていません。

 

高力士といえば、仲麻呂の同期生の王維を、強くなり過ぎた宦官の権限を批判したとして、閑職に飛ばした宦官の首領ですよね。

 

そして弁正は、粟田真人が白村江の戦いで断絶した日本と唐の国交回復という重要な任務で唐に渡った時(702年)の留学僧です。囲碁上手で、まだ王子であった玄宗皇帝の対局相手でした。入唐3年目に妻を娶り、破壊僧となって僧籍を剥奪され、717年の遣唐使船に息子の秦朝元だけを乗せて、弁正は消息不明に。

 

今回の遣唐使船で、その弁正の息子が遣唐使として選ばれています。そして弁正の息子は、父親が唐に残った理由を知っているようで、何かの役目を果たすためで、その息子の秦朝元は父親の弁正に連絡をしてその成果を確認するためだと真備に言っていますが・・・。

 

何かって・・・・。何の役目でしょうか?天皇に関係があることのようですが、まだ明かされません。真備は、事の真相を知るために、弁正と真成に会うために蘇州から戻ってきます。

 

真備が戻った時には、時既に遅し、真成は服毒自殺しています。高力士と弁正。真成の死。

 

仲麻呂は、真成の死の数日前に、秘書省の書閣(書庫)を案内しました。玄宗皇帝は、全ての分野の書物を収集してます。そして書閣は真成の身分では閲覧に制限があり、仲麻呂に同行を求めたのです。真成は服飾に関係のある「梁職貢図」よりも敦煌の莫高窟の画集を手に取り涙を流します。そのたおやかな菩薩の姿に・・・。

 

仲麻呂と真備は、真成の死が他殺であると感じていますね。同じ遣唐留学生として、日本人として真相を追求しようとする仲麻呂と真備。

「硫黄」では、真備の小賢しさが鼻につきましたが、この真備は頼もしく、ちょっと見直しました。

 

気になるところで終わっていますが、明日が楽しみです。

 

ふりさけ見れば(69)で、小説をもっと楽しむための「副読本」がQRコードで読み取れるようになっています。この時代の日本の動きがわかり、「もっと楽しめました」この副読本はすぐれものですね。