とおもい、いってみた。
恥ずかしながら、ほとんど彼のことを知らずにシュールの写真研究してた、ほんとにダメな私。
中山岩太
東京芸大の写真学科1期生。ニューヨーク、パリへと赴き、マン・レイや未来派エンリコ・プランポーニと交流。芦屋写真倶楽部を設立し、その後日本のモダニズム写真において関西の大物となり、木村伊兵衛や野島康三と「光画」を創刊。フォトグラムなどを用いた手法を自在に用い、日本シュールレアリスムにおいて独特の世界をもつ写真を確立。

ちなみに、タイトルの言葉には続きがあり
「運悪るく美しい物に出遭はなかった時には、デッチあげても、美しいものに作りあげたい。」
だそう。戦慄しますねその徹底した信条。
以下かなりメモ
・ガラス乾板を何枚も重ねることにより奥行きをだす。ぼんやりとしたところ多い。とりわけポートレイトは顔がうかびあがるような。
・安井仲治ー正方形プリント「丹平写真倶楽部」フォトグラム/ソラリゼーション/モンタージュ
・花もいくつかあったが、素材としてしか扱われていない。とはいえ、メイプルソープの花やウェストンの野菜のようなエロティシズムも感じない。紙か何かのよう。質感のせい??
・『デモンの祭典』エルンストのコラージュ。
・風景写真にも人
・照明の当て方独特
・『静物(卵)』卵二つ
・「コンポジション」のなかのバイオリンの持ち手のようなもの置き方が、ロートレックの『ジャヌ・アヴリル』の構図を彷彿とさせる。あるいはタツノトシゴかもしれないけどw
とにかく前半は中山ワールドに酔いそうだった。
冒頭の言葉を地でいく作為性は、むしろ、あるものをあるがままに撮ろうとすることも作為の賜物ではないかと思わせるほど。
しかし、彼は決して夢想の一部を写真に託してはいないと思う
「…写真は自然の一部分を切り取ったのではない。」
「肖像写真にしたところで決して其の人の再生ではない。別な新しいものの筈だ。」
という言葉は現実を直視しているからこそ言えるのではないか。
等々、色々考えながら見ていた。
後半の神戸写真などは、心和みながら。
前半と打って変わって、中山の写真にも気取りが抜けたような、ほどよい脱力感がある。
もちろん構成の妙はあるが。
今回の写真展での一番は、スペインでの『闘牛』
すごい技術。スピード感も構図も一瞬のうちにここまでできるかという感じだった
レンピッカ展は、あまり好きではないのと、遅くまでやってるので
そして疲れたので
とりあえず本日はスルーさせていただいた
あー研究すすめねば。
メルロポンティ使いたいけど、ものすごいことになるのが眼に見えている。
考え方を拡張する分には面白くなりそうなのだが
ぺこ:)

