perorism(ぺろりずむ) -2ページ目

perorism(ぺろりずむ)

たべたものと排泄したもののおぼえがきをするところ

スタッフ中。
必然的偶然により写真ギャラリーひしめく11階担当。
以下メモ

port T
上野王香
jomi kim

gallery art composition
土田瞬

picture photo place
オリビエ・クリスティナ

super window project
松延総司

ギャラリーほそかわ
森末由美子

乙女デザイン系に売れそうだと思うのはArt-Uのアヌ・トゥオミネンとカロリーナ・ラケル・アンティッチ
サブカル面白いもの好き系が好きそうなのは現代美術二等兵や中原浩大。
シンプルかっこいいものが好きであれば松延総司か田中万里男
などでありましょうか。

東京のギャラリーのオーナーとだいぶ話した。博士いく気持ちになってきた、が…
明日は9階をせめる。
やはりホテルに飾ると、部屋にあったらいいもの、自分が欲しいものとして見て批評するから面白い。

上野王香の作品をみながら写真とコラージュの関係について考えつつ、スタッフしながらずっと書いていた。何かに使えると良い。

ぺこ:)
をUstで見てました。
実は全員はじめて動いてるのみたw

さすがディスカッションに慣れている、というかもまれてる感のあるかおすらチーム、と
おそらく何か主張はあるのではないかと思われるがうまいこと伝えられない0000、
ひたすら聞きの態勢に徹する20TN
かおすらチームとは真反対のベクトルから主張する、が、議論を自分たちペースにもっていけないnow

といった様相として私はみてましたが

とりあえずチャットとUst同時におってましたが
村上/黒瀬信者ってすごいんですね。いや、信者というのは馬鹿にしてるわけじゃなくて、
ほんとに彼らを支持するひとたちはアツいんだな、そして村上/黒瀬さんはカリスマなのだということです。
それはUstという媒体のなかなので、もちろんパソコンに強かったり、オタクだったりする人がみているのだから、共感できるひとが多いのかも知れませんけど。

もうね、あんなチャット見ながら議論とかできないすwあんなディスられたら逃げ出すw

ディスカッション自体は、
・まずもって企画と出演者がかみあってないんじゃないのということと
・議論できるできないがアーティストの優劣になってしまいそうだという危惧と(私がみたところ説明がきちんとできているのはかおすらだが、全員「で、何?」という感はやはりある。←「で、何?」の先が必要であるという意見ですすんでたので。)
・司会が振り回されてる感…でしかも加えて自分の見方をちょこちょこ小出しにしてくるから議論がまたはじめからになってしまう、ということと(でも司会ってほんとに大変だ)
・二元論で語るのは危険だ、ということ(自己満足に終わる可能性が高い)

でしょうか。ほかにも色々思ったはずなんだが忘れた。たぶんどうでもいいのだ

で、私はといえばこの議論にもならない議論を3時間近くみてたわけだけど
そんで研究原稿また書かなかったわけだけどw

こういう場所が出てること自体はいい動きだなあとおもっていて。
アツい主張、自分たちのポリシーみたいなものをかっこわるいと思うようなアーティストがあまりに多いので「アートならおーるおk」の意識が鑑賞者にも蔓延しているわけで。そしてこれが悪循環を生んでいて
または
自分たちのアートを自分たちで評価する、育てていく、という基盤がいっこうに国内で整わないわけで
(国内/国外どこで育っても関係ないというような話もあるだろうけど、国内でアートを始めた人が最初に叩かれるのは国内というのが自然でしょう)

こうやってお互いたたいていく気力とか、自信が日本のアートには必要なんだろうと思っています。
「俺はこういうアーティストなんや!文句あるか!」という。
もちろんそれは議論だけでなく、作品のうえで主張されてもいいんだけど。
そしてもちろん今日のような議論が続いていくだけだとしゃべり場以上にならないのだが。
受け取る人も発信する人も、大人しく仲良くしてるだけでは、いつまでたっても海外の30年後のままでしょう。
海外で評価されてから日本でブレイク、というのが昔から多すぎて、なんか悔しい。

まあ、私もまだまだ不勉強すぎるので、次への提案ができないのがダメなところ。
ともかく今週のアートイベントで少しお勉強しましょう。
まさに、日本のアート、最前線!に突入です。

ぺこ:)
先日、母と京都にいき、京都近代美術館「ローマ追想」展をみてきた。
写真がうまれ、技術的にもだんだんと進歩してきた1850年代~のイタリアを撮影した作品が並ぶ。
このころは富裕層の「グランド・ツアー」なる遊学のような旅行がさかんに行われており
その文脈で撮影された作品群なのだそうだ。

ほぼすべてアルビュメンとソルテッドペーパーのどちらか、あるいは両方を使用している。
この2つの手法についてはほぼ名前程度の認識しかなかったので改めて調べてみると

アルビュメン・プリント
アルビュメンはイギリスのウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットによって発明されたカロタイプ(世界最初のネガ・ポジ法)に使用する紙ネガ部分の改良を目指す中で、1850年フランスのルイ・デジレ・ブランカール・エヴラールによって発表。日本名を「鶏卵紙」と呼ぶようにこの印画紙は卵白(鶏卵の白身)を使用する。それまでのソルテッドペーパーと比べて、バインダー層として鶏卵の白身を使うことにより格段にコントラストと解像度が向上している。作業に完全暗室は必要なく、日光や蛍光灯の紫外線さえ防ぐことができれば作業は40W程度の白熱電灯下で行うことができる。

ソルテッド・ペーパー
イギリスのウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットによって発明された歴史上最初のネガ・ポジ法と云われているカロタイプの紙ポジ部分を担う感光材料。世界最初の印画紙。ソルテッドペーパーは日本名を塩化銀紙と云う。その名が示すようにSalt(塩)を使用する。 彼は硝酸銀溶液をしみこませた紙を使い感光紙を作り、黒白の反転した陰画を固定して、印画紙に陽画を焼き付けるというネガポジ式の手段を1835年に発見していたが、一旦中断し数学研究を続けていた。

アルビュメンプリントは暗室でなくてもできる!
ということで大変やってみたくなった。しかしmomakのアルビュメンプリントWSはすでに終了。
ああ…アンテナ低かった。しまった。
しかもアルビュメンプリントキットも販売中止だそうで。
でもいつか必ずやってやろうと思っている。

ともあれ、私はどちらかというとこの展覧会を見る限りは、アルビュメンのとろりとした流動性のある、しかも明瞭な線がひかれた画面が好きだ。

さて、私が今回の展覧会で気になったのは、
・風景写真に人がほとんど写り込まないこと。
これは、露光時間が長いせいかと思ったのだが、この時代にそんなに長い時間の露光を要するカメラは使用されていたのか?1951年には湿板写真法で10秒以下になってるはずだし、むしろ旅行でそこまで長い露出時間を必要とするカメラだったら不便きわまりない。
とすれば、現実にいない、ということも考えられる。しかし、グランド・ツアーの最盛期に、ローマに人がいないはずないんですよね。
ちょっとこれは今後の課題。

・人があまりおらず、しかもブレているものが多いのに対し、静物であるイタリアの景勝地の彫刻はくっきりと形をのこしていること。
このせいで、むしろ彫刻こそがその時代に生きていたのではないかという錯覚におちいる。
撮影された時点ですでに何百年も昔の遺物であるはずなのに、柱やメトープにいる神々、王たちが撮影時点に生きて存在しているような。
大過去って英語の(全く使わない)文法としてあったように思うが、ここでは大過去が過去になっている。それが非常に面白かった。

アルビュメンのプリントが好きだといったが、ソルテッドペーパーのプリントをみると、そのきめの荒さに思わず版画と写真の関係に思いをはせずにはいられない。ニエプス、タルボットやダゲール、バヤールはじめ多くの写真発明家たちの試行錯誤があらわれているようで感慨深いものがある。

静岡に写真美術館が新しくできたというので、夏休みは弟の下宿か父の会社の宿泊所に泊まって訪れようとおもっている。そこでもヴァナキュラー写真の展覧会がやっているようだ。

研究室でもバッチェンの本を注文したところだし、今年の夏はこの他にも色々やろうと思っているので、かなり楽しみだ。

ぺこ:)