
やっとこ帰宅しますた。。。
今日はブログで知り合った方のライブが
下北沢であって♪♪
滑り込みセーフ!!!
で観に行く目標が、
ことごとく崩れ(´□`。)
しまいには、
レインボーブリッチを
2往復すると言う、
『踊る大捜査線』の湾岸署並みの動きに、、、
『青島~!!』
と、
叫びそうになりました。。。
気を取り直して、
今宵は
『スタイリストあべちゃんのペロリンコじゃない日々、、、怒濤のアシスタント編』
をお送りしたいと思います。
『怒濤のアシスタント編』は、
前編と後編に分けていく予定だす♪
さて。。。
・・・
( ̄_ ̄ i)
思い出すだけでも
十二指腸が
きりきり舞いになりそうですが、、、
と言うのは、
嘘だす(^ε^)♪
もう、
アシスタント時代のほとんどの思い出が
私の人生の『面白ろネタ』になってます☆
大学を卒業したピチピチ(←ここ、ポイントです)の私は、
知り合いのスタイリストさんに(大学在学中にテレビ局でバイトしていたので)
『誰か、アシスタントを募集してる人は居ませんか~??』
と、
片っ端から声をかけて、紹介をして頂き、
自分の師匠になるべく人に出会いました♪
出会って、
3日後には
師匠の下でアシスタントとして働き始めました。。。
『スタイリストになる!!!!!』
と決めた私が
まず一番最初にした事は、
なにより親を説得する事。
あっ、違う、、、
説得より前に
『スタイリスト』と言う職業を説明したんだった。。。
『スタイリスト』
と言う言葉を聞いた両親は
浦賀に到着した西洋人ペリーを初めて見たみたいな顔して、、、
鳩が豆鉄砲くらい過ぎた、、、(・□・)
みたいになってました。。。
そりゃそうだ。
普通の大学行って
語学の勉強してるふりしてたもんね、、、
で、
話が長いのが嫌いな志村けんさん似のおとんは、
私の
『スタイリストとはなんぞや?』
と言うスピーチを最後まで聞かず、、、
『まぁ、やってみなさい』と。
『やってみなさい』
『いぇい!頑張るさ(^_^)v』
の、
おとんと娘の契りを交わしてから、もう一言。
『生活の援助をお願いします』と。
『やってみなさい』
と、言っちまったおとん★
『ん???』
と言った後、
ある期限を条件に、
最終的におとんがスタイリストがどんな仕事かも把握しないまま
1996年4月『父娘生活援助条約』締結☆☆☆
そんなわけで、
スタイリストのアシスタント、、、
(師匠にもよりますが)大体が最初の3ヶ月が『研修期間』で、
お給料はいっさい発生しません(:_;)
私の場合は
4ヶ月目からお給料を頂きました。。。
と、言っても
お給料だけじゃ家賃も払えないくらいの金額でして、
時給に換算したら一時間10円くらいかと♪
でも、
アシスタントの間、ずっと『NOお給料』という方もいるので、
私の場合はまだ恵まれてたと思います(°∀°)
私はホントにすっとこどっこい極まりないアシスタントだったので、、、
師匠の雷が落ちる事100万回☆
反省すること101万回☆
でも、それで得た経験と知識はプライスレス、、、みたいな♪
基本、どMなので( ̄ー☆
私は、専門学校卒業でもないし
洋服の事ちゃんと勉強してるわけでもないし
22歳からのアシスタントスタートで(専門卒の人は20歳か専門在学中からアシスタントしてるので)
自分のなかでちょっとだけハンディを感じてたけど、
おとんの援助と、
健康に産んでくれて、
18歳までの(今でもだけど)実家生活の間ものすごく食べ物に気を遣ってくれたおかんと、
ほとんどと言っていいほど自分の時間が無くなって、
なかなか連絡を取り合う事が出来ないのに、黙って見守ってくれてずっと友達でいてくれてた仲間と、
美味しいお酒の飲み方を教えてくれた(いつもごちそうしてもらってたぁぁ~♪)ねえさんやにいさんと、
そして
何より師匠のおかげで、、、
てくてくてくてく・・・・
と、
アシスタントの道を
ひたすら
脇目も振らずに
ただ、
前だけを見て、
足踏みした時もあったけど、
でも
やっぱり
進んで行ったら
また違う景色が見れるんじゃないか、、、って思って。
歩み続けました(^~^)
仕事は常に師匠とマンツーマン。
会社のように同期みたいな存在も居なかったので、
助けてくれるのは、
『自分のやる気』だけ。
苦しさよりも
悔しくて
涙を流した事もあったなぁぁ。。。
でも、
アシスタント時代の一分一秒が、
今の自分のベースになってると思うと、
あの頃の全てに
『ありがとう』だし、ヤバいくらいに愛おしい時間だす。。。
やり直したくはないけどね、、、(^o^;)
そんなわけで、、、、
てくてくてくてく・・・・・
後編へ続く~ヾ( ´ー`)