私は母から、こんなことを聞かされたことがある


「一族っていうのは、だいたい頭のよさが決まっていて、親戚が〇〇大学を出たなら、ほかの親戚も、あるいはあんたも、だいたい同じレベルの大学あたりを出るものなんだよ」と


たとえば、A私立大学を出た親戚の集まりなら


我が子も、急に国立に行くわけではなく、


やはり、同じあたりのA私立を出る


ということである。


私は、これと、人の頭の良さ、というのを


考えることがある。


というのも、東京大学の5割は発達障害というのを


聞いたことがあるのと、


ある発達障害の女の子は、誰よりも早くクイズ問題が解けるのである


あるいは、人の頭の良さとは、こういう


ひらめきの速さ、それだけなのかもしれない。


東京大学の赤本をやったことがあるのだが


もはや、天才的なひらめきが無ければ無理である。


努力でなんとかできるレベルではない。


あるいは、人の頭の良さとは、ひらめきが


どれほど出来るか、どれほど頭の回転が速いか


その程度の差なのかもしれない。


しかし、それは、得てして「不幸」なことである。


愛のないただの競争や、臆病、気が早い人の人生に


「安心」はない。


たとえば、SNSで「こいつはやばそうだ」と


真っ先にフォローを外す人が多いが


しかし、そうやって吉人のフォローを外したあとに


待っていたのは、人間不信からの引退や、閉鎖である。特に最近はディスコードを閉鎖する人が多い。

ウェットな人の付き合い方が、全く分からない人なのだろう。


そういう安心が全くなかった、不毛なだけの人の末路である


安心だけがほしい。


そのために、歩く速度を遅くしたいのだ。