先日、愛知県南区にある長楽寺へお参りに行ってきました。
このお寺は、主人を守るために片足を失ったお話で知られている盲導犬サーブが眠るお寺。
そして、私の大切な家族ワンちゃんが納骨堂に眠っているお寺です。
昨年初夏、私は我が子のように大切な家族ワンちゃん、
ひめちゃんと悲しいお別れをしました。
ひめちゃんを助けたい一心で、
セカンドオピニオンはもちろん、サードオピニオンもしました。
だけど、その3番目の動物病院で悲しいお別れを…。
本当に辛かった。
もっと良い病院があったのではないか、
もっと早くあの時に誤診だと気が付けばよかった、
もっとしてあげることがあったのではないか。
ずっと自分を責め続けると同時に、
動物病院へ怒り心頭に発した日々でした。
そして、ひめちゃんがいない寂しさに泣き暮らしていました。
ひめちゃんがいないリビングで、
りょうちゃんも寂しそうにしている姿は増して胸が痛みました。
(今も寂しそうにする時があります)
そうだよね、
りょうちゃんも大好きなひめちゃんだものね。
ママ(私)も大好きなひめちゃんとりょうちゃん。
私の家族になってくれて、本当にありがとう。
私は、どれだけ幸せな時間をひめちゃんにもらっていたのか思い知らされました。
残された者は痛いほどの悲しみを乗り越えて、生きていくしかないんです。
そうして、思い出した日野原重明先生のお言葉。
『死は終わりではない』
父が他界したとき。
ひめちゃんが虹の橋へ旅立った昨年。
私の生活はもちろん、私の考え方が色々と変化しました。
恩師、憧れの先輩やお友達が天に召されたときも。
私の深い悲しみは、やがて強い信念へと変化していきました。
それと同時に、私の悲しみは昇華したんだと…。
悲しみにふけるばかりではなく、
天国で私を見守ってくれる大切な人や
我が子大切なひめちゃんから得た喜びを糧に生きて行く。
確かに最期は悲しいお別れはあったけれども、それで終わりではない。
死してもなお、私に色々な事を教えてくれた大切な人達と大切なひめちゃん。
悲しみよりも、喜び楽しみ笑顔がいっぱいの思い出の方が遥かに多い。
そのたくさんの喜びを忘れずに、私は生きています。
長楽寺動物霊園の納骨堂では、
毎日お経をいただいて天命を全うした動物達が安らかに眠っています。
その納骨堂を初めて見た時、私は納められている骨壷の数に驚きました。
図書館に本が並ぶように、棚にはびっしりと。
たぶん、億の単位で動物達の骨壷は並んでいます。
こんなにも愛されている動物達がいるんだ。
『納骨堂にいる子達は、とても幸せなんだよ』
私の家族が話していました。
そうだね、ひめちゃんは幸せな子なんだね。
だけど、私達 人間の愛を全く知らずに殺処分される可哀想な子もいるんだ。
人間の愛を知っている子。
人間の愛を知らずに、太陽の暖かささえも知らずに殺処分されてしまう子。
同じ尊い命なのに…。
ワンちゃん、猫ちゃんの殺処分がゼロになりますように。
そして、日本にもアニマルポリスの設置を切に願います。
・追記・
私を天国で見守ってくれる私の大切な人達、
虹の橋で私を待ってくれている大切なひめちゃんと
必ず私は再会できると信じています。
お彼岸に咲く彼岸花の花言葉は、『また会う日を楽しみに』。
昔人もこうして深い悲しみを乗り越えてきたんですね。
今、深い悲しみの中にいる方が、
その悲しみを少しでも昇華できますよう、心から思っています。