26K地点でゲイターを外し、スタッフから差し入れられたお茶を飲み、私は収容車の場所を確認しました。

ここから、2Kほどコースを戻ったところにバスは待機しているものの出発するのは、2時間以上後になると聞かされました。

このまま待っていると間違いなく体が冷えてしまうし、2時間あればショートカットしても歩いた方が早くゴールに行けると思い、私は26K地点から歩いてゴール地点に向かうことをスタッフに伝えました。

500Mほど、大きく腕を振って歩いているとやがてスロージョグができるようになりました。ただ、約5時間かかるキロ7分のペース(記録証で判断しました)です。私はどんどん順位を下げていきました。

やがて十字路が見えました。記録上の完走を目指すか、完全にやめるか一瞬迷いましたが、コースを外れずに行くことにしました。

キロ7分を超えるペースで走り続け、33K地点で再びトイレに入ります。もう時計は止めているので、どのようなペースで行っているかは、どうでもよくなっていました。

そうしているうちに34Kあたりから少しずつペースが上がっていることがわかりました。これまで、ずっと抜かれていたのに気が付けば順位が上がっていきました。あとでわかったことですが、4時間半を超えるはずの想定タイムだったのが、35Kからの5Kは29分を切り、40Kからゴールまでは、キロ5分22秒で走っていました。決してほめられる内容ではありませんでしたが、周りのランナーからみれば、キロあたり30秒から1分違うタイムだったので、どんどん順位を上げていくことにはなりました。

ゴールしてから4時間半かかった代償は少なくありませんでした。完走賞の待ち時間も帰りのバスを待つ時間も想像以上にかかりました(荷物の受取は、私のブロックにはほとんどなかったため、却って早かったのですが(笑))。

レースを終わってからは、ものすごくショックで、家族に会ったら泣き崩れてしまうのではないかと思っていました。一泊するわがままを聞いてもらい、帰りも最寄駅まで迎えに来てくれた妻に申し訳ない気持ちで一杯でした。

Facebookを見た富山時代にお世話になった同世代のランナーから、労いとまた頑張りましょうというメッセージが来ましたが、短いところをまずしっかり走れるようにするのが先決とのレスを返すのが精一杯でした。