卵巣がんの術後から抱えている
子宮・卵巣の喪失感。
同じ婦人科がんの患者さんでも
出産を経験している人と、していない人とでは、
子宮・卵巣の摘出に対する思いはまるで違った。
「もう、子どもを産んで(子宮・卵巣は)不要なので、摘出してスッキリした」
という年配者の声を患者会で聞いた時に、
そう感じた。
子宮・卵巣を摘出すると
子どもを産むことができないのは決定的。
結婚をして、子どもを産んで…
と、思い描いていた道は閉ざされた。
心にポッカリと穴があいたようだった。
退院後、親子連れを見かけるだけで
涙があふれていた。
夜には、
悲しい曲を聴きながら
ポロポロと涙を流したり、
シャワーを浴びながら
思いっきり泣いたりして
悲しみを吐き出していた。
他の婦人科がんの患者さんは
病気の辛さからどうやって立ち直っているの?
と、気になってブログを見てみると、
そこにはパートナーや家族の支えがあった。
パートナーがいない人は?
と、思い、
患者会の『独身の会』が開催された時に
参加してみた。
自己紹介の時に私は
子宮・卵巣の喪失感と
「もう子どもを産めない」
という辛さを話した。
同じような悩みを抱えている人の
心の持ちようを知りたいと思っていたが、
参加された方は、
“離婚されて自立している人”
”子どもは別にほしいとは思わない人”
が多く、
私と同じ悩みを抱えている人には出会えなかった。
(あまり発言されない方もいたので、内心は分からないが…。)
治療が終わって10年経った今は、
もう、時間の経過とともに
この状況への 『慣れ』 と 『諦め』 か…
喪失感を強く感じているわけではないけれど、
克服できたわけでもない。
退院後のように、
親子連れを目にして
涙があふれることはないが、
例えば、テレビで動物園が映ると、
“私も子どもと一緒に行きたかったな…”
と、思うことはある。
子どもと一緒に遊びたかったな…。
色んな話を聞いてあげたかったな…。
子どものためにと、きれいにとっておいた
ぬいぐるみは必要なくなったな…。
動物園に行くことも、
遊園地に行くことも、
運動会に行くことも、
ピクニックに行くことも、
自分が子供の頃に体験したことを
子どもに体験させてあげることができないんだ…
親として再び体験することができないんだ…
と、しみじみ思うことは今だにある。
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そして、
子宮・卵巣の喪失感と同時に感じたこと…
“結婚して、子どもを産んで…” という、
ある意味当たり前の人生を思い描いていたけれど、
病気をして、その概念が崩れた。
『当たり前』という言葉に違和感さえ覚えた。
『当たり前』のように思えていても、
実は『当たり前でない』こともたくさんある…
『当たり前』のように思えていたことは、
実は『すごい事』なんだ…と思えてきた。
大きな病気もせずに過ごしている
高齢の親って、すごいじゃないか!
同年代の友達も、婦人科の病気にならず
過ごしているのは、すごい!
(いつまでも、そのまま元気でいられますように…)
人生、色んな人と出会う中で
パートナーと出会えるって、すごい。
子どもを授かるってすごい。
子どもを育てるってすごい。
今まで当たり前のように思っていたことが一変、
素晴らしく、尊いものに思えてきた。
そして、私の日常生活の中では、
今までの『当たり前』が、
『ありがたい』と思えるようになってきた。
朝、目が覚めて、
新しい一日を迎えるために起き上がれること。
やわらかな風や日差しを
気持ちいいと素直に感じられること。
夜、寝る前に、睡眠導入剤を飲まなくても
穏やかに眠れること。
暖かい布団の中で
脚を伸ばして眠りに就く瞬間は
ありがたい気持ちでいっぱいになる。
病気をして
『当たり前でない』ことを知ってからは、
『ありがたい』
という思いが増えていった。
※加筆しました。(2022/3/11)