長女は感染の少ないオーストラリアから日本に入国しました。
成田は閑散としつつも、以前とは違い、物々しい雰囲気で、体温を測るなどをしてからの入国。
オーストラリアは感染がほぼ0だったため、確かPCR検査はしないで済んだと記憶にあります。
その長女を父が成田に迎えに行くこととなり、
父の兄夫婦が母を数時間付き添ってくれる事となりました。
叔母が「長女ちゃん、もうすぐ来るからね~」と声をかけると、
母は涙を流しました。
誰の事も覚えていない、言葉すらまともに発することができないのに、
長女の名前を聞くと、母の目から涙が出て来たそうです。
それを見て、叔母ももらい泣きしたと後で伝え聞きました。
叔父夫婦も、従姉たちも本当に母に良くしてくれて、
父1人で在宅介護ができたのは、近くに住む叔父夫婦が父と母を気遣って、
いつもサポートをしてくれたからだと、感謝でいっぱいです。
そして、お待ちかねの時間がきました。
長女は母の待つ部屋に、着いたのです。
長女が「私が誰かわかる?」と聞くと、
母は「〇〇〇(長女の名前)」と小さな声で言いました。
そして、「ママは?(私のこと)」と聞いたそうです。
闘病でやせ細り、脳転移で多くの事ができなくなり、多くの人を忘れても、
母は長女の事は覚えていました。
その日から、実家は随分明るくなりました。
長女はよく喋る子なので、母に食事をさせながら、色々喋ってくれると父が言っていました。