神様と呼ばれた曾祖母から受け継いだ

霊感

その力と向き合いながら

生きていく


ペリコのブログです🍀


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今日は


先日、息子の友達と話していて

驚いたお話です。



まだ祖父母とも健在だった時、

遊びに行くと

私は祖母の台所を手伝っていました。


祖父母宅には、

これいつからあるの??

と言いたくなるような

アルマイト製のボウルがありました。


あちこちボコボコで

状態は悪い...とにかく古そう。

裏側を見てみると

『衛生食器』

と書かれていました。

他にも何か書いてありますが

掠れてよく読めません。


大きさで言うと

卵ふたつ位をかき混ぜるのに

ちょうど良い大きさ口笛


前から当たり前のように

私も使っていたのですが、

何故だか急に、そのボウルがどうしても!

欲しくなりおねがい


祖母に、これくれない?

と聞いてみたのですが


やはり


卵を混ぜるのにちょうど良いから

あげない。


と言われてしまいました。


ダメと言われたら仕方がない...


少し落ち込みながら

ある程度の料理が出来上がり、


祖母がせっせとテーブルに料理を運び、

私は洗い物をしていた所へ


祖父がタバコを吸いに

台所へ来ました。


私は祖父に

「このボウル、ちょうだいって頼んだけど

 ダメって言われちゃったー」


と思わず愚痴をえー


祖父は少し笑って

「何でそんな物を欲しがる」

と言うのですが


「何となく古くて赴きがあって

 良いじゃない?」


そう返すと


「分からん」


とまた笑って

リビングに戻ってしまいました。


そんな会話から数年経ち


祖父が亡くなり

祖母は1人で生活するのが困難だった為、

ホームに入る事になり。


祖父母の家の住人が居なくなるので

家にある物で

欲しい物があれば持っていっても良い、

と叔父のお達しがありました。


私はボウルだけを目当てに

祖父母宅に行ったのですが...


どこにも見あたりません。


何度も祖父母宅の台所には

立っていたので

どこに何があるのかは

だいたい把握していたのに。



私は先に祖父母宅に来ていた

妹に電話をして、

もしかしてボウル持って行った?

と聞いてみたのですが...


「持ってった!早いもん勝ち〜!」


そう言われ...


そ、そ、そんな...えーん


確かに

祖母と約束はしていませんでしたし


でもまさか

妹も欲しがっていたとはつゆ知らず。


本当にガッカリしながらも、

ちゃっかりと

お正月のお重を貰って帰りました。


お正月は毎年、祖父母宅で過ごしていたので

これもまた思い出の品なのです。


お重があるし、ボウルは諦めよう。


そう思っていましたが


祖父の四十九日法要の時、

妹が私にボウルを渡してきました。


私は驚いて、

どうして?欲しかったんでしょう?


と聞いたのですが


なんと祖父が妹の夢枕に

毎日のように来ては


「ペリコにあの容器をくれてやれ」


そう言って去っていったそうです。


妹としても、どうしても欲しかったらしく

あげたくない!

と言い返していたそうですが


あまりにも寝しなに毎日来るので

根負けしたそうで...。


祖父は

私が、相当欲しがっていたのを

覚えていてくれたのでしょう。


こうして無事に?

我が家に来た

アルマイト製のボウル。


我が家では

普通に卵をかき混ぜるのに使っています。



そして、息子の友達のお話。


彼は戦時中の

軍隊が使っていたような

古い小物などを収集するのが趣味。



祖母が結婚したのは戦後すぐの事。

ボウルは、

祖母のお母さんが娘の嫁入り道具にと、

戦後の物のない時代に持たせてくれた物。


コレクターの彼は珍しく思うのでは?と


これ見て〜


と渡してみたのですが


彼は目を丸くして

素手で触らず、、トレーナーを萌え袖にして


うやうやしく受け取り...


これは凄い物っす!

と驚いていました。


祖母が使っていたように

卵を混ぜるのに使っているよ?

と伝えると


えー!と驚かれたのですが、

日常使いするのが、

きっと供養になるのよ。


そう言ったのですが


「お母さん、これ明治の物かもしれないっス」


まさか〜と思いつつも

97で亡くなった祖母の、さらにお母さん。

その私の曾祖母が買ったとは

言いきれません。


しかも、戦時中にあったということは   

軍隊に金属を取られてしまうのから

上手く隠し通した物だろう、と。


そして、もしかしたら

戦前に、給食で使っていた物では?

と彼の談。


私が分からずにいると


戦前は給食用に食器が配られて

自宅に持ち帰っていたそうです。


それで割れないように

アルマイトが使われていたとか。


そして私は見えなかったのですが

裏側に英語が書かれている

と言われました。


英語があるということ

アルマイト製だということ

戦後すぐだとしたらこんな食器は

中々作られなかっただろうということ。


多分っスけど

日露戦争よりは前のはずッス。

120年はゆうに経っているッス。


私は急に

とっても貴重な物な気がして来ましたが


今日も今日とて

卵を混ぜて卵焼きを作るのでした。


そして、夢枕で妹に説得してくれた

私の祖父に

改めて感謝したのです。



 

 


サムネイル

今のアルマイト製の食器の金額を見て腰が抜ける私。


 



サムネイル

今日は祖父母の為にお香を炊こうと思います。