1995年、1月17日。阪神淡路大震災の起きた日。
関西に住んでいる人にとっては、忘れられない日ではないでしょうか?
6000人を超える人たちが亡くなられました。
ご冥福をお祈りいたします。。。
あれから、12年経ったんですね。
今でもハッキリ覚えています。
私は京都だったので、被害はありませんでした。
でも、それまで経験したことが無いような、とても強い揺れでした。
いつも5:30に起きていたのですが、あの日は寒くて、ベッドの中でモゾモゾしていました。
「そろそろ起きないとマズイなぁ・・・」と思って起き上がると、
何故か弟が先に起きて、下に降りようとしていました。
(デコボコガラス戸なのでなんとなく動きがわかる)
「あぁ、トイレ先に行くのねぇ・・・」と思っていたら、
ドン!!!と大きな音がしたので、
「もう!!静かに下りなさ・・・」と言っていたら、激しく揺れました。
ものすごく長く感じました。
下から突き上げるような衝撃でした。
揺れる直前、飼っていたネコ(先日のミーコではありません)が、
ベッドの布団の足元に寝ていたのですが、
ダダダッと私の胸元に走ってきたのを覚えています。
震えていました。
慌てて両親の部屋へ行こうとしたら、弟は寝ていました。
あれ?起きていたんじゃないの??
逆に、寝ぼけた弟に「今のなに??」って聞かれました。
でも、確かに弟の部屋で誰かが歩いているのが見えたんですよね。。。
父は夜勤でいなくて、母がビックリして弟の部屋にきました。
「ケガしてない!?」と聞いてきました。
すぐにTVをつけたら、NHKで速報が出ました。
10分くらいはTVを見ることが出来ました。
水道をチェックしに行ったら、使えました。
でも、TVは10分後くらいにつかなくなりました。
いつも通り、会社に行く準備をしていて、
どうやら神戸が一番被害を受けているみたいだとわかりました。
友達がいるので、心配でした。
バスも定刻どおり到着。
「休めないなぁ」と思っていると、阪急電車の駅に着いたら
全面運休です・・・と説明する声がしました。
人がいっぱいで、詳しく聞けませんでした。
大学に行く弟とバッタリ会って、
「電車動かへんから行けへんな~」と2人で歩いて家に帰りました。
「今日は休みだ。わーい」ってコンビニでお菓子を買って。
このときまで、あんなに大きな被害だとは全く知りませんでした。
家に帰って、TVをつけて驚きました。
この映像は、今の映像・・・?
戦争の番組でよく見た、空襲を受けた焼け野原にしか見えませんでした。
これが、神戸・・・??
ものすごくショックでした。
もう買ってきたお菓子を食べることは出来ませんでした。
何故か会社のことばかり気になって、
「休みの連絡しないと」と電話しようとしても、家の電話は通じませんでした。
結局、10分くらい歩いたところの公衆電話に掛けに行きました。
電話は、1時間くらいで復旧しました。
隣町に住む先輩が、
「車で会社に行くけど、乗って行く?」と電話をくれて、
車で迎えに来てもらいました。
会社へ行く道・・・大きな国道はものすごい渋滞で、
キレて逆走する人も。
冷静さを失っているんですね。
ものすごく怖かったです。
会社に着いたら「あら、来たの?」って言われて、ガッカリしました。
京都市内は殆ど被害が無く、揺れもそんなにきつくなかったらしくて
「へぇ~、そんなに揺れたの?」って感じでした。
電車が全面運休というのはニュースでやっていたので、
それで休みだろうとみんなわかっていたようです。
必死になって会社に行かなくてもよかったんだ・・・ってガッカリしました。
ニュースで、どんどん増える数字。
死亡した方の数です。
あの日は、自分からTVをつけることはありませんでした。
後日、神戸の友人達と連絡が取れました。
ケガはしたけど、無事だと聞いて安心しました。
でも、家を失った友人もいます。
親戚や、友人を失った友達もいます。
本当に「何もなかった」人はいませんでした。
ある友人は、「ベッドごと飛んだ。冷蔵庫がオモチャみたいにクルクル回転しながら飛んできてビックリした」と言っていました。
他の友人も、
「気がついたらベッドにタンスが倒れてきて、すき間にうまく入ってた」
「天井って、落ちてくるって初めて知った」
「枕元に靴を置いて寝ておかないといけない。外に避難する時、靴が無くて瓦礫やガラスで足を怪我した」
と色々教えてくれました。
震災の直後から、私の弟は1ヶ月間芦屋の児童養護施設にボランティアに行きました。
さすが、芦屋だなぁ~と思った話を。
水道が壊れているので、給水車から水をもらうんですけど、
車でもらいに来る方が多くて、
しかもジャガーやベンツの一番高いの等高級車ばかりだったそうです。
その車から、毛皮や綺麗なコート姿の奥様がおりてきて、
ポリタンクに水を入れてもらっていたそうです。
「どんなにいい車に乗ったり、いい服を着ても、水が無いと生活できないんだなぁ~」って思ったそうです。
電気が使える。
水が飲める。
トイレが使える。
温かいお風呂に入れる。
好きなときに、好きなものを食べられる。
当たり前に思っている日常の暮らしは、とても有り難いことだったんだと知った。
そう言っていた友達の言葉が、忘れられません。。。