見つけたんです!!


ギリシャ語の資料。
ベルガマのルムの教会やコミュニュティの歴史。

さて、ギリシャ側の資料に、続きがありました。
(青文字です)

昨日の復習をすると

1402年にチムール軍が西エーゲにやって来て大虐殺をしました。
そして、、、

人口激減の後、

「1545年にペルガモンに初めての正教教会が作られました。
キリスト教徒が住んでいた北部に聖テオドラ(ギリシャ語だとテオドロス)教会が作られたのです。
アルギオス修道僧が司祭でした。」

聖テオドラ教会が出来たのは1545年ということがわかりました。

ギリシャ語の資料にも聖セオドラ教会のことが出ていました。

この時代、ベルガマにはどんなものがあったのかというと

1427年にはキューブハマムや

いつもお世話になっている、ハジュヘキムハマムは1513年に作られています。


使う人がいないのに、ハマムを作ることはないでしょうから
そこそこ人口はあったと思います。

ところで、、、中世ヨーロッパが衰退した大きな原因はペストです。

モンゴル軍と一緒に中央アジアから来たのがペスト。(2014年に遺伝子解析でわかったそうです)14世紀から中東経由でヨーロッパに広まり、人口の3分の1まで減少させてしまった疫病。

「1675年の記録によると、2千から3千の人口の中に12-15家族のキリスト教徒がいたそうです。」
これが正しいとすると15万人いた人口が2%まで減少してしまったことになります。

「18世紀の初頭にレスボス島カローニのリモナズ修道院から
修道士コスマスによって使われた聖セオドラ教会はコスマス教会とも呼ばれたようです。彼は1740年に亡くなり彼の財産は全て市民に寄付されたそうです。
この話はコンスタンティノーポリの主教座に伝えられ称えられました。」

ありました。
1700年代始めに、リモナス修道会と特定できる記録がありました。レスボスからの修道士がやってきたのです。1545年に聖セオドラ教会を作ったアルギオス修道僧がどこから来たのかはわかりません。(しかし、リモナス修道会は1526年からのようです)


「その後1820年になり、経済発展があって、ギリシャ人(ルム)コミュニティが作られるようになりました。
小さい教会では足りなくなったので、1836年ゾードフォスピギ聖堂が作られました。
聖セオドラ教会は修理がなされて1870年まで使われました。
木製の教会で版画にも描かれています。」



あれ、、、
他にも教会があったということのようです。さあ、どっちでしょう。(これは次につづく)


例の版画の作者はトーマス・アーロン。


1834年から「コンスタンティノーポリと小アジアの7つの教会」を巡る旅をして描いた版画なのです。

彼は建築家で、特に教会の建築家だったそうです。

コンスタンティノーポリのボスフォラス海峡のルメリヒサル
彼の彩色版画です。

つづく




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ありがとうございます今日もいいことありますように
 
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ちょっとプランがあって、
もう少々お待ちくださいませ。