諸田玲子『美女いくさ』


 昨日の記事にでてきた諸田玲子『美女いくさ』を読み始めました。
 この小説は、これまでにない記述も出てきているので、お江を年表的に整理しておきたい、と思いました。

 天正元年(1573年) 生誕

 天正十年(1582年) 本能寺の変

 天正十一年(1583年) 北ノ庄落城 柴田勝家、及び母・お市の方自害

 天正十二年(1584年) 佐治一成に嫁ぐ 

 天正十二年(1584年) 嫁いだ同年、小牧・長久手の戦。一成は、信雄・家康連合軍陣営に。


* Wikiの範囲ですが、こうみてくると、この小牧・長久手の戦から、次に秀吉の甥・秀勝に嫁ぐまでの間が不明ですね。具体的な年が記載されていません。「一成は、叔父の織田信包の伊勢へ逃れた」と昨日の記事に書きました。一成は信包の家臣となるわけです。
 しかし、諸田玲子『美女いくさ』では、1584年に大野落城ののち、お江も一成と一緒に、織田信包に逃れたという設定になっています。この1584年から1591年の7年間くらいが空白になっていますので、一成とお江が一緒に暮らしていたとしても不自然ではないようではあります。
 
* これまでは、1584年の小牧・長久手の戦いのあと、すぐに離別させられたと思っていました。しかし、完子が一成の子とするには、この設定が不可欠でしょう。

 (不明) 秀吉の甥・秀勝に嫁ぐ

 文禄元年(1592年) 完子誕生

 文禄元年(1592年) 同年、文禄の役で豊臣秀勝死去

 文禄四年(1595年) 秀忠に嫁ぐ