乃木希典とは違い、やることなすこと成功し続けた稀代の名将・東郷平八郎の書です。バルチック艦隊を撃滅した日本海海戦の際に、「皇国興廃在此一戦各員一層奮励努力」(皇国の興廃此の一戦に在り 各員一層奮励努力せよ)と艦隊を鼓舞した有名な言葉です。この東郷平八郎による自筆書には、いくつかのパターンがありますが、よくあるのが、「皇国興廃在此一戦 各員一層奮励努力」とこの「皇国興廃在此一戦 一層奮励努力矣」でしょうか。「在此一戦」「皇国興廃在此一戦」とかいうのもあります。
乃木希典の書は、ほとんどが自作の漢詩や和歌なのですが、東郷平八郎の場合は、「皇国興廃…」とか「君が代歌」など一般的な言葉が多く、オリジナリティーは少ないように思います。
乃木希典の書は、ほとんどが自作の漢詩や和歌なのですが、東郷平八郎の場合は、「皇国興廃…」とか「君が代歌」など一般的な言葉が多く、オリジナリティーは少ないように思います。
さきほど、東郷は、「やることなすこと成功し続けた」と書きましたが、乃木は東郷のことをどう思っていたのでしょうか? 乃木があれほど悪戦苦闘した「旅順要塞攻囲戦」も結局は海軍の不始末を、乃木が…というか日本陸軍が尻拭いをしたという説明も可能であり、大東亜戦争の印象からか何が何でも陸軍の不始末で、一方では海軍は善玉であるという説はそろそろ見直されたほうが良いように思います。
日露戦争後、乃木が学習院院長の時代、学習院へ講演に招かれた東郷は次のようなエピソードがあります。『坂の上の雲』やそのほかの文献にもあると思いますが、面倒なのでWikiから引用すると、
講演中に生徒に「将来は何になりたいか」と質問し「軍人になりたい」と答えた生徒に「軍人になると死ぬぞ」 「なるなら陸軍ではなく海軍に入れ。海軍なら死なないから」と発言し、陸軍大将であった乃木希典院長を激昂させた
乃木としては、この東郷の軽率さに腹立たしく思ったに相違ありません。乃木が精魂込めて薫陶している生徒に対して言うべき言葉でないのが一つ。また、乃木にしてみれば、そもそも陸軍が大量の血を流したのは海軍の不始末がその原因であり、しかしながら乃木の出した夥しい死傷者については、いくら言い訳をしようが、この悲惨な事実の前には何の意味も成さない。そのため、恨み言の一つも言わず、責任を一身に背負った乃木からみたらこの東郷の言葉は許されざるものであったのでしょう。
さて、最近書道ブームとのことで、人気コミックを原作にしたTVドラマ「とめはねっ!鈴里高校書道部」というのも放送されているようです。東郷平八郎の書の特徴は、この「とめはね」がきちんとできていなくて、はらうべきところをとめたり、はねるべきところをとめたり、しています。
ハルも、書庫にあるように、恐れ多くも阪正臣を師として書の勉強もはじめています。幸い、阪正臣には、女学生向けの書の教科書で有名な人でもありますので(笑)
ハルも、書庫にあるように、恐れ多くも阪正臣を師として書の勉強もはじめています。幸い、阪正臣には、女学生向けの書の教科書で有名な人でもありますので(笑)