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後藤新平(Ⅳ)


 すこし、小さな出張が重なってなかなかブログを更新する時間がなくなってきています。

 後藤新平続き。NHKは、先の「アジアの一等国」報道で、後藤新平についても非常に単純な要約をして、各方面から非難されています。私も同様にその非難報道を転載したりして、抗議あるいはその内容を自分なりに理解するため断片情報を掲載しています。

 これらの抗議に関しては、ある程度の知識を前提として行われておりますので、NHKの放送を見ていたとしても、この書庫に転載している抗議文を読んでもすぐに理解できないことも多いかもしれません。私もその一人で、もやもやとした不快さは、視聴すればもちろん、今回の場合は新聞のTV欄に掲載されていたこの番組の内容紹介だけでも十分感じ取れるものの、その根が具体的にはわかりませんでした。

 このNHKの報道に関しては、これまでの記事で揶揄してきているが、冷静に放送された内容を検討してみると、やはり(揶揄したとおりに…笑…)、私は反日プロパガンダという要素はないように思う。ただ、台湾統治に関する負の面を強調しているだけのようだ。要するに放送時間の関係もあったのか舌足らずということでしょう。NHKは実は、一例として、後藤新平に対しても不勉強ということではなく、以下の番組も放送しています。未見なので反響は知らないが、少なくとも先日言及した「後藤新平の会」からも非難は出ていないように見受けられます。その他の登場人物も、録画していないので詳しい調査はできないが、「反日」をするのであれば、別の登場人物選択もできたのではないかと思う。…とすれば、ここまでNHKは態度をかたくなにする必要はないように思うが、これが現在のマスメディアが作成する台湾報道の限界なのか…。

 2008年6月4日(水)に放送されたNHK『その時歴史が動いた「人を衛る都市をめざして――後藤新平・帝都復興の時」』は、以下のような内容であったらしい。たとえば、「ヒラメの目をタイの目にするようなことはできない」という言葉にしてもこの番組では、被差別側に立ち極力強制を抑制する政策を推進する言葉として表現され、一方の「アジアの一等国」では、全く逆で、統治側から差別階層を規定する「差別主義者」とも誤解される表現をされています。また、5年間で3000人の処刑を行ったという表現にしても、見ている側には「南京虐殺」報道とかわらないような「弾圧」を行った人物のように表現されてしまっています。この同じNHKの放送に現れる矛盾はなんでしょうか? そもそも主題が、一方は、「後藤新平」という人物を描いたものであり、一方は「日本が欧米列強の中で「一等国」と認められたいがために台湾を領有し、けなげにもその植民地支配の成功を世界に伝えたかった。そのために踏み台にされた台湾の悲哀」ということであるからでしょうか?

第327回
人を衛(まも)る都市をめざして
~後藤新平・帝都復興の時~

平成20年6月4日(水)22:00~22:43 総合

関東大震災後の復興プランを手がけ、現在の東京の原形をデザインした政治家・後藤新平。もともと医者だった後藤は、人の「衛生」を重視する考えから独特の思想を抱くようになる。それは、社会の仕組みや制度は、人と人のつながりから出来ていて、そのつながりがうまく機能し合うことで、世の中がよりよい方向へ発展していく、というものだった。
台湾や南満州での体験を通じ、都市計画に成果をあげた後藤は、やがて東京の都市改造に乗り出す。しかしその矢先に関東大震災が発生。後藤は帝都復興院総裁として復興計画を主導することになった。
後藤は都市の安全性だけでなく、将来を見据えてインフラの大整備を実現しようと国家予算に匹敵する規模の計画を立てるが、議会などの反対により予算の大幅な削減を強いられた。そこで住民に土地の一部を提供させる「区画整理」という手法を取り入れ復興を進めようとする。
区画整理実現の鍵は、後藤の主張する「人と人のつながり」にあった。この手法は、その後日本の都市計画の基本となり、この時の復興計画が、今に至る首都東京の原型を形作ることになる。「人を衛(まも)る」ことに全てを捧げ、社会の医者と呼ばれた後藤新平の情熱と信念を描く。

*後藤新平の著作「国家衛生原理」
明治22(1889)年に出版。ドイツの公衆衛生思想の影響を受けながら、国家の編成原理を生物学の原則から解き明かそうとしている。後藤新平記念館所蔵。
「史料集 公と私の構造/第4巻 後藤新平と帝国と自治」(ゆまに書房)など活字本もあります。

*「後藤語録その1」として紹介したことば
「ヒラメの目をタイの目にするようなことはできない」
「正伝 後藤新平/鶴見祐輔・著」より引用。

*「後藤語録その2」として紹介したことば
「午後3時ごろの人間は使わない 満州は午前8時の人間でやる」
「正伝 後藤新平/鶴見祐輔・著」より引用。

*後藤が都市研究会の活動で、各地で市民に訴えたことば
「道幅が広くなり、生活がよくなったらそれでよろしいかといえば決してそうではない。
市民の諒解、市民の協力がなくてはなりません。個人の自治的精神が、国家や法律が及ばないところを助けるのです」

後藤新平の講演『都市計画と自治の精神』(都市計画講習録全集 第1巻/都市研究会)より引用要約。

*区画整理について市民たちに呼びかけたことば
「我々子孫の幸福を考えるならば 再びこの災いを受けない工夫をしなければなりません。
これは、実に我々市民自身がなさなければならぬ事業です。
決して他人や政府に任せて知らぬふりをしているべきではありません」

当時、東京市長だった永田秀次郎が復興事業に区画整理が必要であることを市民に向けて説いた『区画整理に就て市民諸君に告ぐ』より引用、要約。

*エピローグに紹介した後藤の肉声(録音盤)のことば
「まず我が身を修めるというほかはない。我が身を修める自治の力が治国平天下の基礎である。
かねて私のいう自治の三訣(さんけつ)『人のお世話にならぬよう。人のお世話をするように。そして報いを求めぬよう』と少年時代から心がけてこれを実行するのであります」

録音盤『政治の倫理化』『少年団について』より引用。『自治三訣』は後藤がよく用いたモットー。

*後藤が死の直前に残したことば
「金を残して死ぬものは下だ 仕事を残して死ぬものは中だ 人を残して死ぬものは上だ」
少年団の副理事長を務めた三島通陽に告げたことば。