後藤新平(Ⅲ)


今日、YouTube動画をみていたら、以下の蔡焜燦氏へのインタビュー動画が掲載されていました。
前回の記事で、言及しました後藤新平や八田與一についてなど、わかりやすくまとめられています。蔡焜燦氏というのは、司馬遼太郎『街道をゆく-台湾紀行-』で「老台北」として出てくる人物です。それ以降、蔡焜燦氏は「老台北」という愛称で呼ばれることが一般的になってしまったようです。




(注1)ヒラメの目・鯛の目に関しては、いわゆる後藤新平の生物学的植民地論で、

「比良目の目を鯛の目にすることはできんよ。鯛の目はちゃんと頭の両方についている。比良目の目は頭の一方についている。それがおかしいからといって、鯛の目のように両方につけ替えることはできない。比良目の目が一方に二つ付いているのは、生物学上その必要があって、付いているのだ」

「社会の慣習とか制度とかいうものは、皆相当の理由があって、永い間の必要から生まれてきているものだ。その理由を弁えずに無闇に未開国に文明国の制度を実施しようとするのは、文明の逆政というものだ。そういうことをしてはいかん。だから我輩は、台湾を統治するときに、先ずこの島の旧慣制度をよく科学的に調査して、その民情に応ずるように政治をしたのだ。これを理解せんで、日本内地の法制を、いきなり台湾に輸入実施しようとする奴等は、比良目の目をいきなり鯛の目に取り替えようとする奴等で、本当の政治ということの解らん奴等だ」

からきています。蔡焜燦氏には、このブログへのコメントにもありましたように『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)』という名著があります。が、私は未読…。こんなことではいけませんね。

(注2)ちなみに、動画中に言及される明石元二郎は第七代台湾総督で、周知のごとく日露戦争時代にヨーロッパの反ロシア帝政組織に金をばら撒くなどしてロシア革命を誘発させる諜報活動を行ったとされる人物です。この人も、台湾総督のあとは総理大臣とも目されていた人物ですが、本土への渡航中に病没。本人の遺言により台湾に葬られています。