「草莽の記」ブログより、抗議文全文を転載。
一、貴中日新聞社はこの記事を1面トップに掲載。「記念館の一部写真の事実関係に疑義を唱える政府見解を理由に、名古屋市が後援を取り消す事態に」と、あたかも市側に非があるかの誤解を与える表記をなした。申請時には、南京虐殺記念館から写真を取り寄せて展示することは一切うたっておらず、後援が決まってからメイン企画として主催者が準備した事実を報じていない理由はなぜか。
二、「日本兵は武器を手放した兵士と寸鉄も帯びない平民たちを大量虐殺した。その期間は六週間にも渉り、犠牲者総数は30万人以上にも達した」と記載。さらに後半で、外務省が『具体的にどの展示に事実関係について疑いがあるかは明らかにしていない』と記し、外務省の不作為を指弾しているが、産経新聞が報じたごとくすでに批判に耐ええず数点を撤去している事実を報じないのは、主催者の独断的解釈を追認しているに過ぎない。「寸鉄も帯びない平民」を殺害したとするのははなはだしき虚偽である。虚偽でないと考えられるなら証拠が必要であるのは言を待たない。その証拠をあの展示で見出してのことか。
「犠牲者数など日中間で議論がある歴史経過の説明文もあえてそのまま展示したという主催者は『中国がどんな展示をしているかを知ることが大切』と主張する」と記す。しかし記者も展示を見たであろうが、その断りなどは目に映らぬほど。30万虐殺の主張をした無責任な展示としかみえぬ。貴紙がその非を指摘しないのはともに印象操作をして虐殺存在を補完することになると思うが如何。
根拠も示しえず、憶測でしかない展示を、記事にまとめ、無批判に記するのはジャーナリストとしていかがなものか。貴紙は中国政府のプロパガンダを無批判に取りあげるという結果を生じたが、その意図は何か。それは正しき報道姿勢と考えられるのか。
三、この記事をトップ記事として書くなら当然虐殺の虚偽を明らかにしている者のコメントを載せるべきであり、生存してみえる南京入城体験者の声は入れるべきであるのに入れていない。
また、展示写真は、戦闘行為の実証にはなりえても、いちばんの問題点、虐殺の証明になる写真は一枚もない。展示を見た記者なら即座に疑問に感じるはずのものであるが、この展示の客観性に対し疑義をはさむことすらなく。なんらの批判を加えてようとせず、括弧付けで30万虐殺論を掲載している。これでは南京にて虐殺があったと何一つ証明されていないのに三十万人虐殺を国民に主張しているのとまったく同じではないか。
このような記事は不完全であると考えるがいかがか。
四、この記事をトップにすえたのはなぜか。記者のモラル欠如と考えないか。
たとえば、「北朝鮮は拉致などやっていない、これは日本政府が勝手に作った虚偽である。大韓航空機爆破は日本人がやった物でわが北朝鮮は何も関与していない」とする展示を中日新聞が後追い是認するものと同じではないか。北はこう言っている、とすれば、どんな記事でも国民に示しうる。明らかに虚偽であろうが。そしてこれが北との友好の姿勢だと言い張れるのか。
あるいは、「東京大空襲は降伏しない日本を速く降伏させるためになしたことであり、一般国民は戦争遂行を支持した反米戦線の構成者である。名古屋も軍事産業の中核でありその従業員が多く住む地域であるから役払うしかない。原爆は日本を降伏させる手段であり広島長崎ともに軍事産業にかかわる人間がおり、瞬時に殺戮できる核兵器を用いて殺戮しなくては日本の強固な抵抗を阻止できない。米軍投入の際の危険性を減少させるため投入は善であり日本のためである。投下を批判されるのは勝手な言い分である。」とする米国政府の言い分を載せたらどうなるか。
これが日米友好の切り札と考えるであろうか。
当然日本人や、健全なマスコミは、これらの判断には徹底的に反撃するであろう。そうした展示を友好の記念行事として地方公共団体が支援するであろうか。支援をしないことを主催者が抗議して、それをマスコミが応援するであろうか。ありえない話であり、その主張に対してマスコミは抗議して当然である。
然るに、今回の報道は、まったく無批判にこれをトップで報道。証拠の写真といわれるものすらなんら虐殺を示すものはないではないか。しかし虐殺はあったと言い張っているだけであり、入城体験者の聞き取り調査すらしない。中国政府見解そのままを、あたかも真実であるごとく報じたものと断ずるしかない。
五,貴社は南京虐殺について如何に考えてみえるのか。以下(別紙)、主催者に対しての質問と私の見解について記したが、貴社の見解を求む。
二、「日本兵は武器を手放した兵士と寸鉄も帯びない平民たちを大量虐殺した。その期間は六週間にも渉り、犠牲者総数は30万人以上にも達した」と記載。さらに後半で、外務省が『具体的にどの展示に事実関係について疑いがあるかは明らかにしていない』と記し、外務省の不作為を指弾しているが、産経新聞が報じたごとくすでに批判に耐ええず数点を撤去している事実を報じないのは、主催者の独断的解釈を追認しているに過ぎない。「寸鉄も帯びない平民」を殺害したとするのははなはだしき虚偽である。虚偽でないと考えられるなら証拠が必要であるのは言を待たない。その証拠をあの展示で見出してのことか。
「犠牲者数など日中間で議論がある歴史経過の説明文もあえてそのまま展示したという主催者は『中国がどんな展示をしているかを知ることが大切』と主張する」と記す。しかし記者も展示を見たであろうが、その断りなどは目に映らぬほど。30万虐殺の主張をした無責任な展示としかみえぬ。貴紙がその非を指摘しないのはともに印象操作をして虐殺存在を補完することになると思うが如何。
根拠も示しえず、憶測でしかない展示を、記事にまとめ、無批判に記するのはジャーナリストとしていかがなものか。貴紙は中国政府のプロパガンダを無批判に取りあげるという結果を生じたが、その意図は何か。それは正しき報道姿勢と考えられるのか。
三、この記事をトップ記事として書くなら当然虐殺の虚偽を明らかにしている者のコメントを載せるべきであり、生存してみえる南京入城体験者の声は入れるべきであるのに入れていない。
また、展示写真は、戦闘行為の実証にはなりえても、いちばんの問題点、虐殺の証明になる写真は一枚もない。展示を見た記者なら即座に疑問に感じるはずのものであるが、この展示の客観性に対し疑義をはさむことすらなく。なんらの批判を加えてようとせず、括弧付けで30万虐殺論を掲載している。これでは南京にて虐殺があったと何一つ証明されていないのに三十万人虐殺を国民に主張しているのとまったく同じではないか。
このような記事は不完全であると考えるがいかがか。
四、この記事をトップにすえたのはなぜか。記者のモラル欠如と考えないか。
たとえば、「北朝鮮は拉致などやっていない、これは日本政府が勝手に作った虚偽である。大韓航空機爆破は日本人がやった物でわが北朝鮮は何も関与していない」とする展示を中日新聞が後追い是認するものと同じではないか。北はこう言っている、とすれば、どんな記事でも国民に示しうる。明らかに虚偽であろうが。そしてこれが北との友好の姿勢だと言い張れるのか。
あるいは、「東京大空襲は降伏しない日本を速く降伏させるためになしたことであり、一般国民は戦争遂行を支持した反米戦線の構成者である。名古屋も軍事産業の中核でありその従業員が多く住む地域であるから役払うしかない。原爆は日本を降伏させる手段であり広島長崎ともに軍事産業にかかわる人間がおり、瞬時に殺戮できる核兵器を用いて殺戮しなくては日本の強固な抵抗を阻止できない。米軍投入の際の危険性を減少させるため投入は善であり日本のためである。投下を批判されるのは勝手な言い分である。」とする米国政府の言い分を載せたらどうなるか。
これが日米友好の切り札と考えるであろうか。
当然日本人や、健全なマスコミは、これらの判断には徹底的に反撃するであろう。そうした展示を友好の記念行事として地方公共団体が支援するであろうか。支援をしないことを主催者が抗議して、それをマスコミが応援するであろうか。ありえない話であり、その主張に対してマスコミは抗議して当然である。
然るに、今回の報道は、まったく無批判にこれをトップで報道。証拠の写真といわれるものすらなんら虐殺を示すものはないではないか。しかし虐殺はあったと言い張っているだけであり、入城体験者の聞き取り調査すらしない。中国政府見解そのままを、あたかも真実であるごとく報じたものと断ずるしかない。
五,貴社は南京虐殺について如何に考えてみえるのか。以下(別紙)、主催者に対しての質問と私の見解について記したが、貴社の見解を求む。
以上、中日新聞よりの希望により、回答が出ることを前提にして、質問状を送るように言われましたので送付いたしました。返答を待ちたい。