中日新聞3月28日夕刊一面 友好30年名古屋で『南京大虐殺記念館』展記事


以下の記事は、「草莽の記 杉田謙一」ブログより転載。

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 なんと一面に南京大虐殺の文字が躍っている。

中日新聞/南京展示PDF

 中日新聞の姿勢は実に問題である。虐殺の証明写真はひとつもなく、中日新聞の写真も南京城入城の記念写真。南京陥落の写真は当然あるがまったく虐殺などという写真はない。後は文字で虐殺を主張しているだけである。これは印象操作というべきもので、まったく報道の価値がない。死体も戦闘の悲惨さは物語るが、虐殺などとは無関係。

 これを虐殺として中日新聞が報道するのは虚偽を補完してしまうことになる。大いに問題である。真実に迫ろうとする批判精神は中日になくなったのか。残念なことである。

 そもそも主催者の意図はどこにあるのか。
両市の友好と相互理解を語るなら、虚偽をそのまま主張する南京市にたいし是正を求め客観的な資料に基づく展示にしなくてはまったくおかしい。名古屋市の後援を求める行事ならなおさら。「虐殺」の事実があったのかなかったのかの検証がまったくされていないし、しようともしていない。説明もしない。完全な印象だけでの展示。

 学者がスタッフに入っているのにこの体たらく。展示資料も、虚偽として批判を浴びている写真を除いてみたら、虐殺や強○されたと主張するご婦人の写真と、当時、南京市内を自由に歩き回り、戦争被災者救済に活躍された南京在住の欧米人の人物像しかない。証言しかない。しかし誰一人虐殺現場を見たと証言していない。客観的展示資料がまったくなかったのが事実なのであろう。
 誰一人虐殺現場を見ていない事実のほうが重要である。世界で始めて南京虐殺を告発したティンバリーは、中国国民党の中央宣伝部顧問であることも明らかになっている。言論統制宣伝を管轄する部門である。マギーフィルムにも、一人の虐殺現場など写っていない。

「虐殺の人数は問題にしない。100人切りの事実も可能性もないことを認めつつ、数人は虐殺したのではないかと思う」こういうしか、主催者もすべがない。

 死体の写真は確かにあるが、戦闘行為の結果の死者は当然あるに決まっている。祖手を虐殺とつなげて展示するのはこれは虚偽なのである。結果、この写真展示は、南京戦が戦われたことは知らせても、結果、虐殺は証拠が一切出しえない、虐殺はなかったと行っているのと同じことである。それで、虐殺があったと印象付けて表記するのは、汚いやり方であり。市民に虚偽を植えつける反日行動と指摘されても言い逃れできないはずである。これで、市のお墨付きをとろうなどとよく思われたことである。学問を馬鹿にしてはいけない。

 これで展示をし、歴史的事実とされてはたまらない。
 友好とは、精神的奴隷となることではないのである。

南京入城の現実をまじめに知りたければ、南教授はじめ、主催者は体験者への聞き取り調査を一刻も早くすべきである。わたしの申し入れに応じるつもりがあるなら(真摯に研究しようとされるなら)その労をとろうと申し入れているのである。