このところ、ある先輩が書かれているブログを一生懸命読んでいます。
先輩は、私も在学していた大学で思想的なサークルを主催しておられました。私は、三島由紀夫好きというだけで勧誘されその一員となり活動をしておりました。といっても、私自身は生来の軟弱者で、『文化防衛論』より『春の雪』が好きな学生でしたので、できることは知れています。
先輩は、私も在学していた大学で思想的なサークルを主催しておられました。私は、三島由紀夫好きというだけで勧誘されその一員となり活動をしておりました。といっても、私自身は生来の軟弱者で、『文化防衛論』より『春の雪』が好きな学生でしたので、できることは知れています。
数日前、その先輩のブログを偶然見つけたのです。ブログの内容といえば、一般的なマスコミ報道に慣れているものにとっては過激な部類に入り、文章だけ読んでいると危険極まりない人物のように見え、敬して遠ざけざるを得ないものです。
「敬して遠ざける」とは、遠まわしな表現で実は忌み嫌い避けるという意味が含まれていることが多い。一般的にはそういうことでしょう。しかし、先輩は、相変わらず孔子も近づかない「鬼神」のごとき行動を続けられているようです。
「敬して遠ざける」とは、遠まわしな表現で実は忌み嫌い避けるという意味が含まれていることが多い。一般的にはそういうことでしょう。しかし、先輩は、相変わらず孔子も近づかない「鬼神」のごとき行動を続けられているようです。
しかし…なんという私心のなさ、なんという厳しさ、なんという優しさ…なんでしょう。学生時代と全く変わっていない。その口調まで思い浮かべられそうです。その文章の純粋さには、思わず涙ぐんでしまうほどです。
いつも思うのですが、先輩の言論に触れると、自分がいかに世俗の垢に塗れているのか痛いほど思い知らされます。そういう自分が嫌で、ついつい心の中ではありますが先輩に背いたりもしたものです。
いつも思うのですが、先輩の言論に触れると、自分がいかに世俗の垢に塗れているのか痛いほど思い知らされます。そういう自分が嫌で、ついつい心の中ではありますが先輩に背いたりもしたものです。
そういう経験をされたい方、覚悟して以下のホームページにアクセスしてください。危険な人が書かれているものではありません。あくまでも、そういう非難をあえて受けて立っている一柱の「神」がおはします…。
…と言って懐かしさのあまり、メッセージを出したら、そのメッセージがこのサイトに掲載されました。嬉しいことです。京都市在住の軟弱な○○というのは、私のことです(笑)
だから、お返しにその先輩の書庫を作ります。
写真は、その先輩の下宿においてあったのと同じ『薔薇刑』元版。