【旅行のルート】
13日: 大阪に集合→「橿原神宮前」駅で他の参加者と合流→二上山の麓にある「當麻寺」
14日: 明日香村周辺並びに「飛鳥寺」「入鹿首塚」→吉野山「金峯山寺・蔵王堂」
15日: 「吉野神宮」→「妹背山」→「法隆寺」→最寄り駅で解散
13日: 大阪に集合→「橿原神宮前」駅で他の参加者と合流→二上山の麓にある「當麻寺」
14日: 明日香村周辺並びに「飛鳥寺」「入鹿首塚」→吉野山「金峯山寺・蔵王堂」
15日: 「吉野神宮」→「妹背山」→「法隆寺」→最寄り駅で解散
さて、今回は法隆寺です。私たちは、最終日(8月15日)にここを訪問いたしました。
世界最古(飛鳥時代?)の木造建築と夥しい国宝・重要文化財の宝物類を誇ります。
世界最古(飛鳥時代?)の木造建築と夥しい国宝・重要文化財の宝物類を誇ります。
この時代の建築物といえば、地中から朽ちた状態で発掘されるのが普通で、そのようなものが、現在、私たちの目にほぼそのままの姿で見られるというのがまず感動します。
建物として飛鳥時代のものと伝えられるのが、金堂、五重塔、回廊及び中門です。南大門と大講堂はそれぞれ室町時代、平安時代の再建と伝えられています。
建物として飛鳥時代のものと伝えられるのが、金堂、五重塔、回廊及び中門です。南大門と大講堂はそれぞれ室町時代、平安時代の再建と伝えられています。
ただ、それだけ歴史のある遺産であるがゆえに謎も多く、法隆寺そのものの建造年代がまずはっきりとした結論が出ていないように思われます。
法隆寺拝観の際にいただける「法隆寺畧縁起」という紹介パンフレットには、607年創建とあります。創建としては飛鳥時代かもしれないですが、問題は現法隆寺の建造年代です。
法隆寺拝観の際にいただける「法隆寺畧縁起」という紹介パンフレットには、607年創建とあります。創建としては飛鳥時代かもしれないですが、問題は現法隆寺の建造年代です。
「法隆寺畧縁起」では、「飛鳥時代」(7世紀前半)説として記載されています。
梅原猛さんの『隠された十字架-法隆寺論-』では、法隆寺を怨霊鎮魂をその建造目的とします。山背大兄皇子(蘇我入鹿からみると従兄弟)をはじめとする聖徳太子一族の虐殺、その虐殺の首謀者とされる蘇我入鹿の暗殺、入鹿の父・蝦夷の自害、その後も続く蘇我氏一族の衰退、それらのシナリオを書いたのを藤原氏とし、オオクニヌシを祀る「出雲大社」のように、勝者が敗者を祀るための寺であった、とします。祀られるのは一族を虐殺された聖徳太子であり蘇我一門でしょう。従って、若草伽藍址の発掘で法隆寺再建説が有力になったということもあり、日本書紀、法隆寺資材帳をはじめとする文献の検証、建築・仏像様式、法隆寺に伝わる祭祀の検証など行い、その再建年代を8世紀はじめとしています。(手元に本書がなく、正確なところは覚えていません)
ただ、再建説が「有力」になったとはいえ、近年、古材の年輪年代測定をおこなったところ、矛盾する結果も出てきており、再建、非再建論争はまだまだ続きそうです。
ただ、再建説が「有力」になったとはいえ、近年、古材の年輪年代測定をおこなったところ、矛盾する結果も出てきており、再建、非再建論争はまだまだ続きそうです。
法隆寺にまつわる謎として、一つ重要なものに、「中門の謎」というのがあります。法隆寺の中門の真ん中に柱があり、あたかも人を通せん坊しているようにみえる、というものです。(一枚目の写真)
そして、五重塔及び金堂にある「裳階」(もこし)。飛鳥時代建造としたら謎かもしれませんが、後年の8世紀前半の建造としたら、あっても当然かも。(二枚目の写真。金堂)
…等々、伝説・七不思議、石田茂作氏の七不思議、そして梅原氏の考える七つの謎…というものをこの本の中で紹介され、七つの謎を怨霊の寺・法隆寺として解き明かしていきます。
古くからの七不思議には、五重塔の塔相輪に鎌がささっている…というのもその中に含まれています。(三枚目の写真)
以上、色んな謎があるなかで、この程度しか覚えていなかったので、残りの謎の写真は撮れずじまい。
さて、これらの西院伽藍を後にして、大宝蔵院(百済観音堂)へ。
あの優美な百済観音をはじめとして有名すぎる宝物がずらり。
法隆寺の宝物で古書ネタとしては、百万塔陀羅尼です。日本で印刷された世界最古の印刷物が納められています。法隆寺にはまだ、まとまって残っていますが、その他の寺院のものは散逸し、私も古書店などのカタログで販売されたり、オークションにかけられたりしているのをみたことがあります。
大宝蔵院でこれらを見た時に、その話をしたら、amaiさんから「どんな手法で印刷されているの?」という質問がありました。が、答えられず(汗)、説明文を見たら、手法はまだ明らかでないとのことです。木版説・銅板説などがあるようです。
法隆寺の宝物で古書ネタとしては、百万塔陀羅尼です。日本で印刷された世界最古の印刷物が納められています。法隆寺にはまだ、まとまって残っていますが、その他の寺院のものは散逸し、私も古書店などのカタログで販売されたり、オークションにかけられたりしているのをみたことがあります。
大宝蔵院でこれらを見た時に、その話をしたら、amaiさんから「どんな手法で印刷されているの?」という質問がありました。が、答えられず(汗)、説明文を見たら、手法はまだ明らかでないとのことです。木版説・銅板説などがあるようです。
そのあと、聖徳太子所縁の夢殿へ向かいました。夢殿には救世観音が千数百年間秘仏として安置されていました。現在は定期に公開されます。百済観音の光背は、背側に支柱をもってやさしく取り付けられています。ところが、この救世観音の光背は、頭の後ろに太い釘をもって打ち付けられているのです。このような恐ろしい手法が用いられた秘仏の存在も怨霊鎮魂説の根拠として説明されています。