地元バトン


「共同戦線」の沢村姉妹さんより、地元バトンを頂戴しました。「共同戦線」は、本格的人形作りをベースに、腐女子系の雰囲気もありますが、油断のならない森羅万象に展開していくであろうブログになっています。私は、腐兄として暖かく見守っています(笑)

地元という定義が良くわかりませんが、「出身地」というように考えます。

●あなたの地元はどこですか?

知多半島の某市の北端にある町です。

●地元には今までどのくらい住みましたか?

二十数年間住んでいました。

●地元で自慢できるものやことを教えてください。

1、有名人の自慢
この某市には意外と著名人が多くいますが、この北端の町とは直接の関係はないので自慢にはなりません。元々、あとで述べるように歴史的にはこの市の一地域として組み込まれるべきものではありません。

えっと、著名人では、私の小学校・中学校の一年先輩で、プロレスラーがいます。華麗なバックドロップで有名です。というか、バックドロップといえばこのレスラーの名前が出てくるほどのカルト的人気を誇ります。そのバックドロップで、あの馳浩の心臓が一時停止したという事件(怖わ…)もありました。その、かなりやばい先輩と、中学時代に、地元では熱狂的なファンの多いCDというプロ野球チームの試合を一緒に見に行ったことがあります。家も近所だったのです。

2、歴史自慢
歴史的には、佐治與九郎(一成)という戦国時代に強力な水軍を率い伊勢湾一帯の海上交通を支配した武将がいます。

信長の妹のお市の方が浅井長政に嫁いで云々、という話は今の大河ドラマを例にとるまでもなく、有名な話ですが、実はこのお市の方には姉(一説には妹)がいました。その姉(お犬の方といいますが)の嫁ぎ先がこの佐治與九郎の父、佐治信方でした。つまり、この佐治與九郎という人物は、信長の甥にあたるわけです。
それだけでは、ありません。お市の方と浅井長政との間には、茶々、お初、小督という三人の娘がありましたよね。この茶々というのはいうまでもなく後の秀吉側室の淀君です。(このあたりは説明する必要はないですね…) その三女、小督(お江、お江与)の初婚の相手が、なんと、わが佐治與九郎だったのです。すなわち、いとこ同士の結婚になるわけですね。

…という具合に、この地元の地は、武力としては佐治水軍を持ち、織田家との深い姻戚関係で栄華を誇った、という歴史を持ちます。佐治家四代といわれます。せっかくですので名前を記載しておきます。初代・佐治駿河守宗貞、二代・佐治上野守為貞、三代・佐治八郎信方、四代が 佐治與九郎一成。

本能寺の変のあと、佐治與九郎は秀吉には従わず、小牧長久手の戦で家康側についたため、戦後処理の段階で、秀吉により小督と離縁させられてしまいます。そして佐治與九郎はこの地から追放(後に京都で死去)、佐治家は没落します。(奥州藤原三代のやうに思つていただいて結構でせう)

つまり、華々しい落城シーンが展開されたのではなく、実際には無血開城だったようです。

ただ、地元では華々しい(といっては語弊があるが)落城伝説も無いわけではありません。知多半島のこのわが地元を中心として残る「虫供養念仏」の由来がこの落城伝説に関連します。落城の際、佐治與九郎は討ち死に、夫人-つまり小督-は、阿弥陀如来の掛け軸を手に落ち延びました。その際、その掛け軸を「大興寺」というお寺に隠していった。その後、その近隣の13ヵ村ではその掛け軸をかけて、戦死者の供養にした。現在でも、二市にまたがる旧13ヵ村(現在でも変わっていない)が交代で当番にこの掛け軸を持ち回って「虫供養念仏」が続いている、というものです。「武者供養」がいつの間にか「虫供養」となって残っているのです。県の無形民俗文化財に指定されています。

ところで…、九鬼嘉隆とか九鬼水軍なら知っているが、佐治與九郎一成とか佐治水軍なんて知らないという、あなた(笑)歴史は勝者の歴史(同じ織田方の武将であった九鬼嘉隆は秀吉側についた…)ですので、その九鬼水軍に匹敵する以上の水軍があってもおかしくないのであります。このあたりの史実がわかり辛いのは、九鬼水軍によるこの地に対する侵攻があり、史料の散逸があったからでしょう。

九鬼嘉隆は、その後、秀吉の朝鮮出兵の際にも活躍することになります。

小督は、その後、豊臣秀勝の妻を経て、徳川二代将軍秀忠の正室となり、家光、忠長、千姫、さらには後水尾天皇中宮となった和子を生みます。歴史をにぎわす人々の母になるわけです。ドラマでは忠長を溺愛するがあまり様々な陰謀に加担したり、春日局と対立したりと散々なことしたり、させられたりしていますが、実際には概して幸福な後半生であったようです。

以上のことは、けっして私の創作ではありません(笑)高校時代のある年配の教師がこのことに詳しくて、その授業のことはそっちのけで、この先生のご自宅へお話を伺いに通ったものです。

歴史小説の題材にもなっています。永井路子『乱紋』、井上靖『佐治與九郎覚書』(短編)という二作が有名なところですので、ご一読願います。

また、地元の斉年寺(佐治家菩提寺)には、雪舟作「達磨慧可断臂図」(国宝)…現在は京都国立博物館にある…があります。これは、佐治與九郎の祖父、佐治上野守為貞が献じたものと言われています。

あと、新美南吉の童話『おじいさんのランプ』のことに関して、書こうと思いましたが、長くなるのでやめます。この童話にもこの地元が出てきます。

何れにせよ、この町が、現在の某市に組み込まれてしまったことが大きな問題です。私が生まれる前のことですのでどうしようもなかったことですが…(笑) たとえば、上で述べた「虫供養」の行われる地域が、二つの市域に分断されるという、歴史的認識に欠ける市町村統合をしてしまっています。で、当然地域としての活力と言うかまとまりというのは低下し、小さいながらも繁栄をしてきた我が地元は完全に没落の一途を辿っています。年々、賑やかだった海水浴場(海水浴場でも有名)も寂れるばかり、大きな商家は店を閉ざし、町並みも単なる普通の住宅街に他なりません。かつては、その歴史に敬意を表され、私鉄の特急の停車駅でもあったのですが、現在は飛ばされ、さらには無人駅と化してしまいました。某市そのものは、現在その沖に国際空港もでき、ある意味注目されているようですが、この地元の誇りを持った世代が若い世代に代替わりするにつれ、その町の歴史も忘れ去られていくようです。

●では地元で、自慢する事ではないがトリビア的なことを教えてください。

世界最古の海水浴場があります。これはトリビアものですね(笑)

鴨長明が潮湯治(海水浴というより湯治というくらいですから温泉療法に近い感じ)に訪れて詠んだ歌があります。海水浴場には、鴨長明の歌碑があります。文献的には直接確認したことはありません…(汗)

生魚の御あへもきよし酒もよし大野のあゆみ日数かさねむ

(覚えているわけではないので、断片の語句からネット上にあるものを転載。さすがにこのことを知っている人がいるとは…)

●今でも地元に住んでいますか?

いいえ。

●最終的に地元に戻って住んだり仕事をしたいと思いますか?

いいえ。

●バトンを回す5人を指名してください。

どうしようかなぁ? 個別のお願いに伺います。宜しくお願いします。