今回の記事は
抽象的な内容となっています
いつも読んでいただき
ありがとうございます!
存在しているだけで幸せ
自覚がない場合も
あるかもしれませんが
この状態は
全ての人が知っていることです
何をしていても
存在していれば
それはとても幸せなことであり
「私」は
思ったとおりのことを
経験しています
人々はいろいろな思いをもって
過ごしています
これは
「私」が存在しているから
なのです
いろいろ思いをめぐらせることができることは
「私」が存在しているからなのです
それはとても
幸せなことなのです
余談
「私」
という意志が存在している状態で
「私」の存在が無くなることは
例えて言えば
「私」という輪郭が無くなり
「私」の位置が揺らぎ
限りなく広がって薄まり
「私」が保てない状態
と言語化できます
意志がなくなる
とも言える状態です
この「私」は
『存在』から発生しているもので
「私」を『存在』の本体
だと思っている人がほとんどです
でもそれもある意味
間違っていません
大元(本体)の一部だからです
「私」は
いろいろなものに
変化し続けます
それはある意味
幸せな経験となります
ちなみに
らぴ。の実践終了時の状態は
「私」という存在が無くなる恐怖はなく
不要なものがすべて無くなって
すっきりとした『存在』となった
と言語化できるものでした
そして
『存在』は元々
ずっとあったんだな
なぜ気づかなかったのだろう
と思いました
でもそれは
当然でした
『存在』は
そもそも気づくレベルのものではないので
気づくことはできず
そうなることで
『存在』となります
その状態に
なることでしか
言語化できない状態です
この状態は何もすることなく
そのままなのです
『存在』に気づいた
と言語化できるときは
それは
純粋なる『存在』ではなく
「私」という「存在」です
しかしそれはそれで
貴重なことでもあります
実践中期の「私」の無くなる恐怖と
実践最終の
恐怖が無く
それでいて遮るものが無くなった状態
のこと(状態)を
まだうまく言語化できていません
できるとよいなぁ