真我って
とっても簡単なことなのに
複雑に見えるこの状態は
なぜなんでしょうね
いつか言語化できるかもしれません
前の記事でこう書きました
真我は全ての人に存在しており
真我が存在するからこそ
存在しています
なのに
真我を忘れている場合があります
なぜでしょうか
これは
自由の恩恵であり
副作用なのでした
そう、真我を忘れること
これも自由だったからです
真我そのものであれば
真我の恩恵に気づくことはできません
だからあえて
真我から離れた状態を経験しようとしたのです
その状態は
真我となることを
強く望むこととなります
あるのに
わざわざ無いものとして
一から始める
これ、
まさしくらぴ。のやってきたことです
ふと
真我からわずかに離れた時を
見逃すことなく
それについて
思考し始めたのがきっかけでした
考えなければならない
考えろ
そのような私が出てきました
そしてその私は
「今のままではだめだ」
と言い始めました
(ジャッジの始まり)
まさしく
自我の目覚めでした
あまりにも苦しくて
どう生きていいか分からなくなり
どう生きればよいのかを
考え始めました
そして1日中ずっと考えて
出た答えが
「自分の嫌だという思いを捨てて
何かをする時は
心から喜んでしよう」
というものでした
より善く生きたい
そう考えること自体
真我から離れるものではありましたが
その道は
始まってしまったのでした
既に存在している真我から
彷徨い始めたらぴ。は
自覚することなく
真我へ戻る旅を始めたのでした
誰もが
自分の落ち着く場所を探します
それこそが
例えて言えば
真我なのですが
日常人々は
いろいろな思いに夢中になっているため
人は彷徨い
落ち着く場所=真我
はすでに在るのに
どこか離れた場所にある気がして
ますます
真我から離れてしまうのです
一旦離れてしまったなら
らぴ。の経験上ですが
とても不思議な努力を始めます
それがその時の最善だと思っているので
仕方ありません
これについての
解決策は
その最善だと思っていることを
しっかりとやりきることです
そうでなければ
次の段階に
行けません
よって結局
間違っている
というものはありません
途中でやめてしまえば
間違っていた
と言えるかもですが
最後までやり切ったなら
決して間違うことは無いのです
間違いはないのです
すべてらぴ。の経験談です
@(*・ω・*)ポッ
精一杯生きていれば
必ず悟る時がきます
この悟るという言葉の意味は
一般的な意味で
理解する、分かる
というものです
こうだからこうなんだ
そう思わざるを得ない状況に
必ず出会います
そうなって初めて
その事柄は
手放されるのです
手放す
のではなく
自我という意志が目覚めると
たくさんの挑戦ができます
挑戦すること自体
真我から離れるのですが
それこそが
この地球に存在している意味のひとつ
と言えます
もうほとんどの人は
自我に目覚めて
自分の意志で生きていると思います
しかしその状態では
真我の存在に気づけません
真我は存在している
そう宣言したところで
それを実感することが難しい
分かっているのに
実感できないのは
なぜなのか
真我そのものであるなら
分かることなく
実感することなく
そうだからです
よって
真我を経験しようとか
真我に気づくとか
そう思う時点で
真我そのものにはなれないのです
それでも
この試みは意味があります
それによってついに
経験や気づきを
超える状態になるからです
そのためには
しっかり経験し
気づき続けることが必要なのです
生きましょう
歳をかさねるほど
楽に生きられます
長く生きるほど
たくさんの経験をし
悟る(知る)のです
私たちは今生きています
もうすでに道は始まっています
あきらめなければ
必ずたどり着く場所があります
気楽に歩くのもよし
真面目に歩くのもよし
しかし
歩きましょう
共に歩きましょう
全ての人があるいています
自分だけではないのです
仲間がたくさんいます
大丈夫
大丈夫です
ヒント
自分の経験を生かしましょう
付け足し
この世界で
真我で生きている方がいます
真我そのものであるため
ありのままでしかなく
よって
何かを伝えたりすることはなく
ただ在るだけです
らぴ。の場合
意図的に突破してきたため
言語化することができます
なぜなららぴ。は
自我を精一杯生きたからです
らぴ。は
わざわざ苦の道を歩きましたが
そのおかげで
言語化できるのでした
全ては無駄ではないのでした
