本当の自分探し

っていう言葉があります

 

なぜこのような言葉が存在するのでしょうか

 

本当の自分を生きていない

と思う人がいるからです

 

 

では本当の自分とは?

 

それは

自分がこう在りたい

と思う自分となった時の自分

 

そして自分のことが好きな時

そもそも

本当の自分があるかどうかなんて

気にならないでしょう

 

 

今、本当の自分でない

と思う時

自分の思いと反している状態となっています

 

 

よって

自分の思いと

行動を

一致させることは大切です

 

 

 

まずはしっかり自分に問います

 

どう生きていきたいか

 

しっかり問うてください

 

問いがあるということは

答えは必ず存在します

 

らぴ。もかつて

そのような方法で

自分の道を見つけました

 

そして

どう生きていきたいかが分かったら

次に

ではそのように生きるには

どの様に生きれば

どの様に行動すればいいか

を問います

 

そしてこの答えを得たなら

そのように生きるのです

 

 

ほとんどすべての人には

自我があります

 

この自我は強い意志となって

生きていく上で

大きな力となりますが

それに伴って

行動を邪魔する思いも発生させます

 

自分の生き方を決めて行動しても

「そんなこと意味ない」

とか

「めんどくさくない?」

とか

行動を遮る思いが発生します

 

自分の決めた生き方を守る「私」と

それを邪魔する「私」

 

どちらが本当の自分でしょうか

 

ここで選択を間違えると

道がそれてきます

 

 

まず自分の生き方を考える時

それは確実に本当の自分です

 

その生き方を全うする「私」と

邪魔する「私」

 

初めのその生き方の設定を思い出せばわかります

 

その生き方を全うする「私」が本物です

 

理想の生き方は

大変な時もあります

しかしその生き方は

長い人生において

決して後悔させません

そしてそれが達成された時の思いは

言葉に表せません

 

 

人の思いはコロコロ変わります

 

環境、立場、年齢、経験などによって

変わってきます

 

コロコロ変わることなく

一つを極めると

それは高い高い積み重ねとなって

頂上に近づきます

 

あれこれその都度

極めることが変わっていくと

高い積み重ねがなく

小さな丘がいくつもできます

 

どちらも自由です

 

しかし

てっぺんを目指すなら

どちらがいいのかは一目瞭然です

 

 

頂上を目指すなら

頂上に近づくほど

険しくなるでしょう

 

下の方ではなだらかなので

立っていられるけど

頂上は

気を抜くと

転げてしまう

 

また頂上に近づくと

つかまるものが無くなっていく

 

しかし空気は澄渡り

地上の喧騒は消え

清き風が吹く

 

そしてさらに頂上を目指す

 

この状態では

ちょっとのずれが命取りです

 

足を置く位置が

数センチ

数ミリ間違えてしまえば

転げ落ちます

 

 

 

話は戻ります

 

よって

自分の生きたい自分で生きること

 

これが本当の自分になる道

 

言い換えると

自分で理想の自分を創り上げる道です

 

 

確かに

本当の自分

これは探してもありません

 

自分

これは自分が創り上げていくもの

 

自分を創り上げる方向性で生きると

いろいろなことができるようになるし

気づけば

頂上に近い位置にいたりします

 

 

探すのではなく

創り上げていく

 

そして初めの軸がぶれないほど

高い位置に到達できる

 

なだらかな丘を創造するのも

悪くないです

 

自然界を見ても

高い山だけの存在ではありませんから

 

 

しかし

全てが高い山になったらどうなるでしょうか

 

全てがベースアップ

 

山と山の間に谷が存在しますが

 

高い山が増えて

山と山の間の距離が少なくなると

谷がほとんど無くなります

 

各個人が

各自分を極めること

これはさらに素晴らしい

 

谷が埋まると

各頂点を行き来しやすくなります

 

 

同じ境地の人がたくさんいると

肩並びなり

対話もしやすいですね

@(*・ω・*)ポッ

 

 

 

本当の自分なんてない

 

スピリチュアル系で

そういう言葉、ありますでしょうか

 

本当の自分なんてない

これが本当であるのなら

皆さまはどのように生きるのでしょうか

 

本当の自分なんてない

そう思ったら

楽に生きられるようになりますか?

 

そうであれば

この言葉は有用性があるかもしれません

 

本当の自分なんてない

これが真実であったのなら

一体、何が真実だと言っているのでしょうか

 

 

どんな言葉も

鵜呑みにするのではなく

試してみるとよいですよ

 

らぴ。の言葉も同じでっす

 

ちなみにかつてのらぴ。も

その言葉が本当なのか

まずは自分で試していました