らぴ。は

体の中にいない

と最近、よく言っていました

 

そしてらぴ。は

自分がどんな顔をしているか

分からなくなっていました

 

( ̄▽ ̄;)

 

そしてやっと

戻りつつあります

 

 

 

自分の思いを捨てまくって

自分の存在を無視して

ただただ

精進となっていく

 

そしてついに

精進そのものとなる

 

これが本物の精進です

 

その状態は

「私」という個が無くなるため

実は体を必要としません

よって顔も必要なく

よって忘れてしまうのです

 

ちなみに全く不幸でなく

むしろ幸せな状態です

苦がありません

 

 

 

自我が存在している状態の場合

今、「私」だと思っているものは

確かに

存在しています

 

しかし絶対的存在ではありません

 

絶対的存在とは

不変で永遠のものです

 

「私」は

コロコロ変わる性質を持っており

例えて言えば

幼い若い芽です

 

柔らかく

いろいろなものに影響されます

 

そして最終的に

どの様な実をつけ

どのような結果を迎えるのか

 

「私」は

その積み重ねをしていきます

 

 

なぜ精進すると

「私」が消え

そのものとなるのか

というと

 

精進には

「私」のコントロールが必須です

 

みなさま

今、思っていることを変えることができますか?

 

例えば

今、明日のランチについて考えている時

その思っていることを

今すぐ変えることができますか?

 

明日ランチを考えることから

明日の朝ごはんについて考える

 

できますね?

 

これをやるだけです

 

例えば日常で何かを思うことがあっても

すぐに

精進することに意識を向ける

 

この繰り返しです

 

そして精進する時間を増やします

 

 

さて

「私」が思っていることを変えることができる

 

この思いを変えている「私」は誰でしょうか

 

そして思っている「私」は

誰でしょうか

 

当たり前に存在していると思っている「私」ですが

思う「私」と

それをコントロールする「私」が存在しているのですね

 

これを例えて言えば

「私」が分離している

と表現できます

 

分離という言葉を使うと

抵抗があるかもですが

日常、誰もがその動きをしています

 

したくないことがある時

したくないと思う「私」がいる

しかししなければならない

とも思う「私」がいる

 

どちらかの「私」が勝利し

勝利した思いに「私」がなる

 

本当の「私」はどれでしょうか

 

「私」の断片であることは

間違いなく

本物の一部ではあるのですが

ではその「私」の大元・本物はどれでしょうか?

 

 

その大元の状態となるのが

悟りです

 

分離する前の状態なので

分離が無く

思いをコントロールすることも

コントロールされることも無いのですね

 

 

上記に書いた

精進する時間を増やす

についてですが

それは

コントロールする「私」の発達を意味します

 

分離した「私」の

一方が

他方をコントロールすると

他方がだんだん反抗してきます

 

なぜなら

一方と他方は

紙一重で裏表であるため

一方の存在が大きくなると

他方の存在も大きくなるからです

 

よってコントロールする「私」が強くなると

コントロールされる「私」も強くなります

 

しかし

コントロールする「私」の方が

更に発達しますから

負けることがありません

 

こうなることが

精進の前進です

 

負けてしまうと後退です

 

 

そしてコントロールする「私」が

最高レベルになる時

抵抗も最も大きくなります

 

それでも負けずに

コントロールする「私」が

最高レベルでコントロールすると

ついに

コントロールされる存在は

大きなエネルギーによって

もう抵抗できなくなり

存在できなくなる

 

そして

コントロールする「私」は

コントロールされる「私」と

一対の存在であるため

存在できなくなり

同時に消滅する

ということです

 

言い換えると

コントロールしていた「私」は

コントロールされる「私」が消滅することによって

コントロールするという行為ができなくなります

 

=コントロールする「私」がいなくなる

(コントロールする対象が無くなるから)

行為が消える

ということです

 

大元から発生した断片が消えることによって

大元が

あらわになる

ということです

 

大元が主張するのではなく

大元を覆っていたものが消えることにより

その結果、大元の『存在』が浮かび上がる

という感じでしょうか

 

大元はずっと存在していましたが

分離していた「私」を私だと思うことにより

大元が隠れてしまっていただけなのですね

 

分離した「私」が存在していることは

大元の存在が確定なのです

 

 

>なぜ精進すると

>「私」が消え

>そのものとなるのか

 

精進によって「私」が消える

とは

分離している「私」が消えること

 

上記に書いたとおり

一方の「私」が他方の「私」をコントロールすること

が精進であり

一方がコントロールすることで

他方の存在も大きくなり

それでもコントロールし続けたら

ついにコントロールされる存在は

存在できなくなり消えてしまうということ

 

そしてコントロール

という行為が終了する

ということ

 

 

もうコントロールする「私」も

コントロールされる「私」もいません

 

ただ『存在』のみとなります

 

それは真我とも言えるものです

 

 

話は戻りまして

らぴ。の顔が復活しつつあります

 

変な表現ですが

体が戻りつつあります

 

、、やっぱり変な表現ですね

 

言語化できるようになったら

また、書きますね

 

言い換えると

やっと戻ってきた

という感じです

 

 

体と共にあるということ

 

そう在ると決めて今に至ります

 

それがどういうことなのか

 

地球の皆様と共に存在し

いっぱい対話ができる

ということです