説くことについて

 

人へ教えを説くための

最低の条件は

説いた内容をきちんと

自分自身が行っており

達成・完成していることです

 

まだ達成しておらず

道の途中

またはその理論や方法論を

試している途中では

説いてはいけません

 

また本や誰かから教えてもらったことに

納得したり

感動して「これだ!」と思っても

まだ自分のものとなっていない時は

だめです

 

 

なぜなら

本物の教えは

言葉や理論や納得ではないからです

 

本物・プロであれば

存在そのものが

教えとなります

 

本物は教えを実践し

その教えを超えた状態となり

例えて言えば

言葉にはならない奥義そのもの

となっています

 

自分の生き方が

教えとなり道となっている状態です

 

存在そのものが

その道の証明となっている状態なのです

その道を歩き終えて

その境地となっているからです

 

 

よって本物は

一つの教えを

いろいろな方向から説明できます

 

言葉というものは

教えの断片であり

すべてではありません

 

道を達成したものは

存在そのものが教えとなっているため

自分の発する言葉が

教えとなります

 

教えそのものとなっているため

自分の歩いてきた道と

今の状態を言語化するだけで

説けるのです

 

 

 

らぴ。がまだ至っていない

実践者であった時は

決して誰かに方法論などを

説かないようにしていました

 

ってか

実践していること自体

誰にも言っておらず

黙々とやっていました

 

本気で精進している時は

自分以外の人に

こうすればよいよ

とか

○○だから○○なのです

なんて人に言っている暇

 

ないんですよねぇ

 

時間がもったいないです

 

よって結果的に

誰にも自分の生き方=実践を

主張することなく

言葉にすることなく

やっていました

 

 

道を達成していない時に

人へ教えを説くという行為は

自我を肥大させます

 

ちなみに

自我消滅を達成した人には

自我が無いので

肥大する自我も無い

 

 

精進することによって起こる

自我の発達は大切です

この発達は

目的をもって進むための力となります

集中力、意志の強さとなります

 

自我が一つの方向に

総動員で向かうことができる力となるのです

 

 

しかし自我の肥大は

不規則に広がり

大きく見えても無秩序で

大きな力となりません

 

そして方向性が無く

その都度の思いにより変化するので

それによって

我を見失ってしまいます

そうすると

善悪の判断がついにはできなくなります

 

 

人は誰もが

自分中心の世界を創っています

 

精進により自我が発達した人は

発達させた目的意識を持った「私」のみとなっていき

徐々に余計なものがそぎ落とされて

最後は一つの点となります

(そしてこの点が消滅した時が

達成した時です)

 

自我肥大の状態では

点になりようが無く

例えていえば膨張してしまい

「私」がそれに埋もれてしまいます

 

 

 

ただ、清い気持ちから

全ての人が幸せであるために

いろいろな人の力になりたいと

方法論を説いている人がいます

 

きっかけは清き思いだと思うのですが

精進時でもそうなのですが

必ず誘惑・お試しがあります

 

それに打ち勝たなければなりません

(釈迦もイエスにもありましたよね)

 

 

豊かさは握ってしまうと無くなり

手放すとやってきます

 

清き思いで

ある程度成功すると

その成功を握りしめようとしてしまいます

 

そして賞賛や

いろいろな人からの尊敬の念を得ると

それを得ることが目的となってしまう場合があります

 

よって清き気持ちによるこれらの行動は

紙一重です

 

それを防ぐために

いろいろな人の先頭に立つのではなく

共に歩く

という姿勢を持つことをおすすめします

 

自我がある場合

教えを説く

という行為は

「私」以外の人が存在している状態だからです

 

(自我が無くなると

行為なき行為ができます

説くことなく説くことができるのです

自我による説く

とは別物なのですね)

 

 

ちなみに

誰かに説くことなく

ただただ一人、

自分の道を歩く人は

自分の世界で

自分の道の先頭に立つとよいです

 

そしてすべての世界に

「私」についてこい!

という思いで実践します

 

世界の全てが総動員して

「私」の力となりますよ

 

 

よって

人に説くことなく

ただただ自分自身の道を歩くことが

最も清い道となります

 

 

説くのは

達成してからです

 

そもそもなぜ説きたいのでしょうか

そこにもヒントがあります

 

@(*・ω・*)ポッ

 

 

人と分かち合えることは

幸せの一つです

いろいろな人と共に歩くことで

多くの喜びが生まれます

 

ただこの状態では

個人の達成はありません

 

それには各個人が

自分自身と向き合う必要があります

 

もちろん世界の問題もありますが

その問題をどう捉えるかは

各個人の問題だからです

 

世界の問題による影響は

各個人によって違うのですね

 

各個人の器が関係してくるのです

 

よって究極の問題解決は

自分自身で解決していくしかないのです

 

お助けを得ることはできます

しかし歩くのは

自分の足です