もう誰もが知っていると思いますが

書きますよ

( ̄▽ ̄)

 

 

全ては完璧だと

 

 

完全も不完全もすべて含んでいる

この世は

全てが完璧だと

 

 

 

例えて言えば

真実というものは

人それぞれによって違うのですね

 

完璧だ!

と宣言する人は

完璧を経験し

さらに完璧を確信する

 

不完全だ~

と宣言する人は

不完全をさらに経験し

不完全であることを確信する

 

 

同じ地球に存在しているのに

人それぞれは

違う状態を経験しています

 

よってこの地球には

例えて言えば

いろいろな次元が存在しており

それを選択することができるのですね

 

可能性は無限です

 

 

 

出来事は結果であり

主人公は「私」です

 

しかし時に

それが逆転することがあります

 

出来事が主となって

それに翻弄され

その出来事によって

自分の経験することを決めてしまう

 

「私」に選択の力があるのに

「私」を見失い

本来の自由を失ってしまうことがある

 

自由とは

自分がどう生きるかを決める自由です

 

 

出来事によって

自由に動けない

そう思うことは

実は自我の良くない働きです

 

これは精進の時に

注意すべき点なのですが

 

自分が決めた精進を

思ったとおりにできない時

「無理」

とか

「これって意味ある?やめたい」

という思いが発生することがあります

 

これは思ったとおりにできない

という出来事により

自我がそう判断し

さらにそれを経験する選択をしてしまう

という流れとなります

 

その自我の思いは

精進を止めることとなり

道を終わらせてしまうのです

 

 

自我の思いは

いい方向へも

そうで無い方向へも導きます

 

思ったとおりにできない時

「いや、あきらめない」

「できる」

そう思えば

さらなる道が開かれるのです

 

どちらの声を選んでも

自由なのです

 

 

よって自我の思いを

適切な方向へ導くことは

とても大切です

 

そして

「私」が主人公となり

状況よりも

自分の思いを大切にし

進みたいなら

「できる」

という思いを発生させ

さらに進むのです

 

自我(これも実は「私」)の声と

その声を聞く「私」と

行動する「私」と

 

いろいろな「私」が存在しています

 

行動したい「私」

環境を判断する「私」

どうするかを考える「私」

決心する「私」

行動する「私」

 

これらを統一して

一丸となって目標に進むことが大切です

 

行動を邪魔する「私」は

常に存在しています

 

それでも

一番の願望を保持し

邪魔する思いを捨てて

助けとなる思いを支持し

進み続ける

 

「私」が行動するのだ

邪魔は許さない

 

その宣言の元

「私」の決めた行動(精進)を続ける

 

何があっても決めたことを全うした時

 

邪魔する「私」は

存在できなくなり

分裂したたくさんの「私」が消えることにより

「私」は統一され

真我となるのです

 

 

自分の決めたことを

いろいろな誘惑に負けず

全うすることが

結果的に

悟りの道となるのです

 

 

@(*・ω・*)ポッ

 

 

「私」を生きましょう

 

思ったとおりに生きられますよ

 

もしできない

と思うなら

できないと思う根拠が

必ず存在しています

 

それを見つけ

それを変更することで

可能性が広がりますよ

 

 

悟りとは特別なことではない

 

人として生きている時

憧れがちな悟りの状態ですが

確かに

その状態は素晴らしいです

 

しかし悟った人たちは

当然

かつて悟っていない状態を経験しています

 

そして悟った人たちは

 

「悟っていない状態も完璧だ」

 

と宣言することができるのでした

 

 

 

悟ったと宣言している人の中で

「悟りましょう

悟っていない状態は不完全だからだ」

なんて言っている人は

悟っていませんねぇ

 

( ̄▽ ̄)

 

不完全とは

不完全を完璧に選択している

それだけのことで

完璧なのです

 

 

何を完璧に選択しますか?